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[[1931年]]に総督府は皇太子裕仁親王([[昭和天皇]])訪問の記念と民間の文化活動に供するため、布政使司衙門を取り壊し新たに公会堂を建設する計画を発表する。[[1932年]][[8月]]、総督府は布政使司衙門を現在の[[台北市立植物園]]に移転させ、同年[[12月]]に台北公会堂の建設工事が着工、[[1936年]][[12月]]に完成している。
 
[[1945年]]の日本敗戦に伴う[[第10方面軍 (日本軍)|第10方面軍]][[司令官]]・[[安藤利吉]]([[台湾総督]])の降伏調印式が台北公会堂で行われ、同年中華民国政府により'''台北市中山堂'''と改称され、1949年の{{仮リンク|中華民国政府遷台|en|Retreat of the Republic of China to Taiwan|zh|中華民國政府遷台}}後は[[中山楼]]が完成する[[1966年]]まで[[国民大会]]の議事堂として用いられた。
 
==特色==