「核のフットボール」の版間の差分
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{{quotation|運びまわるのはそう難しいことじゃない。下に置くこともできるし、私はしょっちゅうそうしていた。|ジョン・クライン下院議員の発言より}}
1981年3月30日の[[レーガン大統領暗殺未遂事件|ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件]]直後、レーガンとフットボールは別々の場所にあった<ref name="BBC Article">[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/328442.stm "Clinton drops nuclear football"]. [[BBC News]], April 26, 1999. Accessed 16 December 2009.</ref>。レーガンは前任者であるカーターと同じくカードをポケットに入れて歩くことを好んでいたが、[[救急救命室|ER]]の外科治療の際に衣服が切り取られた時に、レーガンはカードを無くしてしまった。後にそのERの床にあったレーガンの靴から無造作にしまわれたカードが発見されたため、「レーガンはカードを靴下に入れて持ち歩いている」という[[都市伝説]]が生まれた。この時はカード以外の中身もレーガンと離ればなれになった。これは運び役の士官が負傷した大統領を運ぶ車の行列に置いて行かれたためだった。
このように、大統領がフットボールを運ぶ人間と離ればなれになることが時々発生し、1973年のニクソン大統領にもこれが起こった。ニクソンは[[キャンプ・デービッド]]において、ソビエト連邦最高指導者[[レオニード・ブレジネフ]]に[[リンカーン・コンチネンタル]]を贈ったが、この車にニクソンを乗せたブレジネフは不意に[[高速道路]]を逆戻りした。そのため[[アメリカ合衆国シークレットサービス|シークレットサービス]]は置き去りにされ、フットボールとニクソンの警備部隊は30分近くも分散したままだった<ref>The Soviet Image. ''Inside the Tass Archives.'' Pg. 188.</ref>。
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