「バロック音楽」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
73行目:
 
ドイツでは、中期バロック期に作られたドイツ風の音楽に加えて、イタリアやフランスの新しい音楽の潮流がどん欲に取り入れられ、「趣味の融合」が本格的に行われていく事になる。そのような潮流を代表しているのが[[ゲオルク・フィリップ・テレマン]]([[1681年]] - [[1767年]])である。彼はこの時期のドイツにおいて最も評価の高かった作曲家であり、多作な事でも知られる。テレマンは、イタリア、フランスの最新の様式を取り入れ、音楽監督を務めたハンブルクで上演されるオペラを作曲したほか、器楽の分野ではトリオソナタ、協奏曲、フランス風管弦楽組曲など幅広い種類の音楽を作曲し、教会カンタータやオラトリオも多数残している。リュートはこの時期、他国では急速に衰えたが、ドイツでは[[シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス]]([[1687年]] - [[1750年]])が、楽器開発・作曲技法の両面でバロックリュートを完成させ、有終の美を飾った。[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]([[1685年]] - [[1750年]])は、当時としてはほぼ無名の作曲家だったが、19世紀に入って評価が高まり<ref name="k">[https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28Johann+Sebastian+Bach%29-1579637 バッハ (Johann Sebastian Bach) ] [[日本大百科全書]]</ref>、「ドイツ・バロック音楽を代表する作曲家」「彼に至る西洋音楽史を集大成するような偉大な存在」と評価されている<ref name="k"/>。
 
[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]([[1685年]] - [[1750年]])は、当時傑出したオルガニストと知られ、多くの鍵盤楽曲を残した他、多数の教会カンタータ、室内楽等を残したもののオペラは全く作曲しなかった。彼もまたテレマンと同様、当時のヨーロッパで流行していた様式に則った音楽を作った一方で、対位法への傾倒は同時代人からは反時代的なものとして評価されていた。19世紀におけるバッハの再評価以来、バッハはバロック時代を代表する音楽家と考えられてきたが、多様なバロック音楽をバッハ中心の視点で捉えることは必ずしも適切とはいえない<ref>Silbiger, A. (Ed.). (2004). Keyboard Music Before 1700 (2nd ed.). Routledge.</ref>。
 
イギリスでは植民地経営によって経済的に潤うと多くの富裕市民があらわれ、18世紀には市民の間でオペラの人気が非常に高まった。[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]([[1685年]] - [[1759年]])はイギリスで活躍したドイツ生まれの作曲家である。ヘンデルが活躍したのは主にオペラやオラトリオの分野であり、これらはつねに当時流行のスタイルで書かれていた。オペラ作品は概してイタリアオペラの書法に則ってはいたが、序曲や舞曲に関してはフランス風の音楽の影響も見られる。美しく、わかりやすいメロディーでロンドン市民に大いに親しまれたが、パーセルに見られたようなイギリス独特の要素はほとんど見られなかった。