「太政官札贋造事件」の版間の差分

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== 経過 ==
元からの財政難と戊辰戦争の戦費負担で巨額の借金を抱えた福岡藩では、財政担当の通商局頭取となった[[山本一心]](旧馬廻組)が太政官札の贋造を発案し、上司の権大参事で会計主宰の小河愛四郎に持ちかける。2人は上役の大参事(旧家老)の[[郡成巳]]、[[立花増美]]、[[矢野安雄]]らに相談、当初は皆とんでもないと反対したが、最終的にやむを得ないと同意した。[[知藩事]]・[[黒田長知]]には内密にして、自分たちだけで事を進めると申し合わせた。
 
[[1870年]](明治3年)博多川端町に「通商局」を設置して「通商札」を製造する裏で、城内二の丸高櫓で太政官札を贋造し、先年切腹させられた[[野村東馬]]の屋敷で一分銀など硬貨の贋造が行われた。