「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の版間の差分

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合衆国議会は、国教を創設したり、宗教の自由の行使を禁止する法律を制定しない。言論や報道の自由を減じたり、市民が平穏に集会しまた不公平の是正のために政府に請願する権利を制限する法律を制定しない。|アメリカ権利章典修正第1条(First Amendment to the United States Constitution)}}
 
こうして[[アメリカ合衆国]]は、政教分離を国制とした史上初の世俗国家となった<ref name="masu">増井志津代「『アメリカ的理念の身体』と宗教思想史研究の可能性」東京大学アメリカ太平洋研究 第 14 号,p.139</ref><ref name=nakaasa>[[中野毅]]「政教分離・政教一致」宗教の事典(朝倉書店)pp.862-864.</ref>。政教分離が選ばれたのは、[[啓蒙主義]]思想によるだけでなく、新国家がイギリスにおいて宗教的に迫害された人々による「合衆国」であり<ref name="ss">佐々木弘道「[http://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-064-079.pdf 合衆国憲法の政教分離条項]」</ref><ref>世界大百科事典「アメリカ合衆国」</ref>、異なった宗教的背景を持った人びとによって構成されていたためであった<ref>[http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kmori/mori.nsf/0/f4c706e13f3321e3492566b300346fc1?OpenDocument 『「共存のシステム」としての政教分離』森孝一 創文No.383、1996年12月号]</ref>。一方、国教の禁止は、州同士の宗教対立を避けるための現実的妥協策であったというマーク・ノールの指摘もあり、宗教の公定制度をそれぞれの州に任せておくことで、州の団結と連邦としての共存が可能になった玉虫色の解決策だったと大西直樹は指摘する<ref name=onishi/>。州の独立性は強く、[[ロードアイランド州|ロードアイランド]]、[[ペンシルバニア]]、[[ニュージャージー州|ニュージャージー]]、[[デラウェア州|デラウェア]]、[[ヴァージニア州]]は公定教会制度を持たず、[[ニューヨーク州]]、[[メリーランド州]]、[[ノースカロライナ州]]、[[サウスカロライナ州]]、[[ジョージア州]]は[[監督派|監督派教会]]を、[[マサチューセッツ州]]、[[コネチカット州]]、[[ニューハンプシャー州]]は[[会衆派教会]]を公定教会とした<ref name=onishi/>。その後、修正第1条の精神が徐々に浸透し、各州における公定教会制度は廃止されていき、最も頑強にピューリタンの伝統が保持されたマサチューセッツ州においても[[1833年]]に公定教会は廃止された<ref name=onishi>大西直樹「初期アメリカにおける政教分離と信教の自由」『歴史のなかの政教分離』彩流社、2006年,pp.167-188.</ref>。
 
{{Main2|現代のイギリス|政教分離原則#イギリスの公認宗教制度|現代のアメリカ|政教分離原則#アメリカ合衆国の政教分離}}