「澤勇智和」の版間の差分

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[[1992年]]7月場所、本名の「澤原」の四股名で初土俵を踏む。[[序ノ口]]は2場所目で[[勝ち越し]]たが、初めて[[序二段]]で相撲を取った[[1993年]]1月場所で7戦全敗。序ノ口に陥落した翌3月場所は頸椎の負傷<ref>これにより、立合い頭から当たる相撲を取ることが難しく、このことが復帰以降の成績不振の原因とされている。</ref>により休場し番付外に陥落。以降も9場所連続で休場し、[[1994年]]11月場所で11場所ぶりに[[前相撲]]から復帰。番付に名前が戻った[[1995年]]1月場所前には、式秀部屋と出身地の品川にちなみ、四股名を「'''式乃川'''」(しきのかわ)に改めた。
 
その後2020年9月場所まで全休は1度もなく現役を続けている無かったが、番付は序ノ口と序二段の往復に終始しており、30歳を過ぎてからは序二段に復帰しても1、2場所で序ノ口に降下することがほとんどで、序二段連続在位の場所数は5場所(1996年1月場所~同年9月場所)が最長。また、1場所で6勝以上の成績を修めたことが一度もなく、5勝2敗も若手時代の1997年11月場所及び1998年7月場所の2回のみ(いずれも序ノ口在位時のもの)、連続勝ち越しもやはり若手時代に2場所を2回(1995年11月場所から1996年1月場所及び2000年1月場所から同年3月場所、いずれも1場所目は序ノ口在位)記録したものが最長。さらには初土俵だった1992年が7勝7敗だったのを除いて年間勝率が5割に達したことも1度もない。初土俵から11年あまりが経過した[[2003年]]5月場所で初めて最年長・最古参序ノ口在位力士となった<ref>21世紀以降、40歳を迎えて以降も[[三段目]]下位から序二段を主戦場として長く現役を続けるケースが多くなり、序二段に[[一ノ矢充]]・[[華吹大作]]・[[北斗龍定裕]]など、桃智桜より年上かつ土俵歴が長い力士が常に在位し続けたため、各場所の番付において、桃智桜が序二段在位力士中で最年長・最古参力士となった例はない。</ref>。
 
2000年5月場所に、初めて序二段の2桁台(東92枚目)に昇進。しかし同場所以降、勝ち越しの頻度が低くなり、2004年7月場所に自己最高位を更新(東序二段91枚目<ref name=":0">番付の数値上は自己最高位であるが、21世紀以降の力士数減少に伴い、序ノ口及び序二段に在位する力士も減った為、2004年5月場所以降の最高位更新は、実質的な更新とは評価されないとする向きもある。なお2000年5月場所以降の桃智桜(式乃川)の最高位更新時の地位を、最上位からのパーセンテージに換算すると、2000年5月場所の上位69.5%(791人中550番目)に対し、2004年7月場所は上位76.7%(744人中571番目)、2011年5月場所は上位84.9%(663人中563番目)、2014年3月場所は上位84.2%(608人中512番目)、2014年7月場所は上位76.6%(646人中495番目)</ref>)するまでに25場所を費やした。
[[2013年]]、この年から師匠となった9代[[式守秀五郎|式秀]](元幕内・[[北桜英敏|北桜]])に、自身が[[嗣永桃子]]のファンであることを話し、嗣永の愛称である「ももち」を四股名に入れたいと申し出たところ承諾を得ることができ、同年9月場所から「ももち」と師匠の現役時代の四股名にちなんだ「'''桃智桜'''」(ももちざくら)に[[改名]]した。また下の名前は入門以来本名の知和としていたが、これに合わせて「'''五郎丸'''」に改めている<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2028438/full/ ももち “改名力士”桃智桜に歓喜「ごっつぁんです!!!」] ORICON STYLE 2013年9月6日</ref>。9代式秀が部屋を継承して以降はこういった珍四股名が命名される傾向にあり、これは女将の趣向によるところが大きい。この改名を行った時期も負け越しが長く続いていたが、改名3場所目の[[2014年]]1月場所は4勝3敗として、3年ぶりの勝ち越しとなり、翌3月場所では37歳にして3年ぶりの自己最高位更新<ref name=":0" />を記録した。この年は7月場所でも最高位を更新<ref name=":0" />した。
 
しかし同場所以降勝ち越しから遠ざかり、2014年9月から2017年3月場所現在で、に亘り17場所連続負け越しを喫してしまった。その間、[[2015年]]11月場所及び[[2017年]]1月場所で9回目・10回目の7戦全敗を記録し、自身の幕下以下における最多全敗記録を更新してしまった。さらには翌3月場所でも7戦全敗し、力士生活25年目にして初めて2場所連続の皆勤全敗となった。続く5月場所は4勝3敗で勝ち越し、自身3年ぶりとなる勝ち越しを遂げた。翌7月場所以降再び勝ち越しから遠ざかり、2017年7月から2020年11月に亘り20場所連続で負け越し。その間、2018年1月場所前に四股名を「'''澤勇 智和'''」(さわいさむ ともかず)に改名。経緯としては、嗣永の芸能界引退直後となる[[2017年]]7月の名古屋場所中に、[[演歌歌手]]として活動していたことがある父が急逝していたことを明らかにした。演歌歌手としての父の芸名だった「澤勇」(さわ いさむ)を四股名にしたもので、亡き父と共に最後まで少しでも星を重ねてほしい、一緒に戦ってほしいという想いで、9代式秀が改名を提案した事による。なお、本名は「知和」だが、桃智桜の「智」をとって「智和」として、これからも嗣永及び嗣永を通して知ってもらったファンにも引き続き応援してほしいとしている。同場所で序ノ口在位が95場所となり、笠力充将の94場所を抜いて史上最多場所数となった<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78</ref>。また翌3月場所では、[[旭光誓一|旭光]]が引退したことにより、昭和時代に初土俵を踏んだ最後の現役力士である[[華吹大作|華吹]]に次ぐ古参の現役力士となった。2020年11月場所で1番相撲を不戦敗して以降再出場しなかったことにより、2021年1月場所は26年ぶりに番付外となった。
 
2018年1月場所から、四股名を「'''澤勇 智和'''」(さわいさむ ともかず)に改名。経緯としては、嗣永の芸能界引退直後となる[[2017年]]7月の名古屋場所中に、[[演歌歌手]]として活動していたことがある父が急逝していたことを明らかにした。演歌歌手としての父の芸名だった「澤勇」(さわ いさむ)を四股名にしたもので、亡き父と共に最後まで少しでも星を重ねてほしい、一緒に戦ってほしいという想いで、9代式秀が改名を提案した事による。なお、本名は「知和」だが、桃智桜の「智」をとって「智和」として、これからも嗣永及び嗣永を通して知ってもらったファンにも引き続き応援してほしいとしている。この場所で序ノ口在位が95場所となり、笠力充将の94場所を抜いて史上最多場所数となった<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78</ref>。また翌3月場所では、[[旭光誓一|旭光]]が引退したことにより、昭和時代に初土俵を踏んだ最後の現役力士である[[華吹大作|華吹]]に次ぐ古参の現役力士となった。
 
== 記録 ==