「多田駿」の版間の差分

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→‎年譜: 「陸軍大学校校長」を「陸軍大学校長」に修正。
→‎略歴: 「中央幼年学校」を「陸軍中央幼年学校」に修正。
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[[逓信官吏練習所|東京電信学校]]を経て<ref name=":1" />、[[仙台陸軍幼年学校|仙台陸軍地方幼年学校]]に入校し<ref name=":1" />、優等で卒業して銀時計を授与された<ref name=":2">{{Harvnb|秦|2005|p=|pp=631-634|loc=第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-8.地方幼年学校卒業生}}</ref>
{{Refnest|group="注釈"|各地の地方幼年学校優等卒業者には、銀時計が「教育総監賞」として授与された<ref name=":2" />。陸士54期相当(地方幼年学校を昭和12年11月19日に卒業)以降は恩賜となった<ref name=":2" />。}}。[[陸軍幼年学校|陸軍中央幼年学校]]を経て、[[1903年]](明治36年)に[[陸軍士官学校]]を卒業(15期)<ref name=":1" />。1904年(明治37年)3月に陸軍砲兵少尉に任官し、野砲兵第18連隊附<ref name=":1" />。[[日露戦争]]に従軍し、[[旅順攻囲戦]]に参加した<ref>{{Harvnb|岩井|2017|p=44}}</ref>。
 
[[1913年]](大正2年)11月、[[陸軍大学校]]を卒業(25期)<ref>{{Harvnb|秦|2005|p=|pp=545-611|loc=第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-1.陸軍大学校卒業生}}</ref>。同月、陸士同期で親友であった[[河本大作]](後の[[張作霖爆殺事件]]で有名)の妹・睦(むつ)と結婚した<ref>{{Harvnb|岩井|2017|p=|pp=45-47|loc=第一章 「弱いものいじめ」が大嫌い - 仙台から満洲・天津へ-「支那通」軍人の系譜}}</ref>。