「プトレマイオス15世」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[共和政ローマ]]の将軍[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]]と[[クレオパトラ7世]]の子(異説あり、後述)。カエサリオンは「小カエサル」を意味する。異父弟妹に[[アレクサンドロス・ヘリオス]]、[[クレオパトラ・セレネ]]、[[プトレマイオス・フィラデルフォス]]がいる。
 
母クレオパトラ7世とエジプトを共同統治していた[[プトレマイオス14世]]が紀元前44年に死去すると、プトレマイオス15世としてエジプトのファラオとなった。紀元前34年には諸王の王と称された。
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クレオパトラが[[マルクス・アントニウス]]ともうけていた[[クレオパトラ・セレネ]]など、子供たち3人は、アントニウスの前妻である[[小オクタウィア]]に預けられ、ローマでオクタウィアヌスの親戚として厚遇された。カエサリオンはオクタウィアヌスと同じく「カエサルの後継者である」可能性を持つため殺害されたのだと見られる。前述のように、現在ではカエサリオンがカエサルの実子であるかについては諸説あるが、殺害されたことから少なくともオクタウィアヌスなど当時の関係者は、カエサリオンがカエサルの実子であると認識していたようである。
 
== 実父と生年月日について ==
カエサリオンの実父と生年月日は古代から議論の対象となっている。実父は前述の通りカエサルであり、紀元前47年6月23日に生まれたという説があるが、異説として、実父はマルクス・アントニウスで生年は紀元前44年とする説もあり、現在も結論が出ていない。
 
== 関連項目 ==