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{{for|the 2011 The Baseball Projectのアルバム|:en:The Broadside Ballads}}
'''ブロードサイド'''('''ブロードシート'''とも呼ばれる)は安価な1枚の紙の片面に多くの場合、[[バラド]]、[[押韻|韻文]]、[[ニュース]]および時に[[木版画]]のイラストレーションを印刷したもの。
それらは、16世紀から19世紀の間、特にイギリス、アイルランド、北米で最も一般的な印刷物の1つであり、これらの国々の伝統音楽の最も重要な形態の1つであるバラドに関連していることが多い。
 
== ブロードサイドの発展 ==
バラドは14世紀から15世紀にかけて[[吟遊詩人]]の間で発展した<ref>{{cite book|title=A Literary History of the Popular Ballad|date=1986|publisher=Duke University Press|year=|isbn=|location=Durham, NC|pages=7|last1=Fowler|first1=David}}</ref>。これらは王の宮廷や、領主の館のホールで人気のあったフランスの宮廷ロマンスや、ゲルマン伝説と組み合わされた物語詩だった<ref>{{cite book|last1=Fowler|first1=David|title=A Literary History of the Popular Ballad|date=1986|publisher=Duke University Press|location=Durham, NC|pages=7-8}}</ref>。17世紀までに吟遊詩人の詩はバラドに進化し、作者たちはさまざまな話題について書いていた。その後、作者たちはバラドを印刷して配布することができるようになった。印刷人はブロードサイドと呼ばれる1枚の紙を使用したのでブロードサイド・バラドと言う名前がつけられた<ref name="auto">{{cite book|last1=Fumerton|first1=Patricia|last2=Guerrini|first2=Anita|title=Ballads and Broadsides in Britain, 1500 - 1800|date=2010|publisher=Ashgate|location=Surrey|pages=253}}</ref>。バラドではブロードサイドの上部にぞんざいな[[木版画]]がついているのが一般的だった<ref name="auto"/>。歴史家のファマートンとジョリーニは近代初期のイングランドでブロードサイドが如何に一般的だったかを示している。バラドの印刷枚数は100万枚に達した<ref>{{cite book|last1=Fumerton|first1=Patricia |last2=Guerrini|first2=Anita|title=Ballads and Broadsides in Britain, 1500 - 1800|date=2010|publisher=Ashgate|location=Surrey|pages=1}}</ref>。バラドはロンドンのみに留まらず、イングランドの田舎にも広まった<ref>{{cite book|last1=Kendrick Wells|first1=Evelyn|title=The Ballad Tree: A Study of British and American Ballads, their Folklore, Verse, and Music|date=1950|publisher=The Ronald Press Company|location=New York|pages=213}}</ref>。印刷機のおかげで、大量のブロードバンドの発行が容易になった。ロンドンではバラドがどこにでもあったので、庶民は歌としても、文字としてもバラドに頻繁にせっするようになった<ref>{{cite book|last1=Fumerton|first1=Patricia|last2=Guerrini|first2=Anita|title=Ballads and Broadsides in Britain, 1500 - 1800|date=2010|publisher=Ashgate|location=Surrey|pages=2}}</ref>。
 
[[印刷機]]の発明により、ブロードサイドの人気が高まった。この新技術により、印刷人ははこれらのバラドを安価に大量生産することができた。歴史家のエイドリアン・ジョンズ氏は、印刷工程と当時の人々がバラドをどこでどのように購入していたかを説明している。バラドはロンドンの路上や村の広場で1ペニー以下の値段で売られていたため、ほとんどの人がこのような安価な娯楽を楽しむことができた。17世紀には、「文房具屋」と呼ばれる人々が同じ場所で印刷と出版を行っていた<ref>{{cite book|last1=Johns|first1=Adrian|title=The Nature of the Book|url=https://archive.org/details/naturebookprintk00john|url-access=limited|date=1998|publisher=The University of Chicago Press|location=Chicago|pages=[https://archive.org/details/naturebookprintk00john/page/n79 59]}}</ref>。文房具屋は印刷されたものを数多く管理していた<ref>{{cite book|last1=Johns|first1=Adrian|title=The Nature of the Book|url=https://archive.org/details/naturebookprintk00john|url-access=limited|date=1998|publisher=The University of Chicago Press|location=Chicago|pages=[https://archive.org/details/naturebookprintk00john/page/n80 60]}}</ref>。印刷業者がプロテスタントまたはカトリックである場合、彼らは彼らの信念に合わせてブロードサイドを出版しただろう。これは政治的信条についても同様であった。
 
== ブロードサイドの性質 ==
原始的な初期の印刷機では、一枚の紙に印刷することが最も簡単で最も安価な印刷形態であり、その歴史の多くで1ペニー(約1万円)程度で販売されていた<ref>B. Capp, 'Popular literature', in B. Reay, ed., ''Popular Culture in Seventeenth-Century England'' (Routledge, 1985), p. 198.</ref>。また、縦に半分に切って「ブロードスリップ」を作ったり、折りたたんで[[チャップ・ブック]]にしたり、いくつかの曲が入っている場合は「ガーランド」と呼ばれていた<ref>G. Newman and L. E. Brown, ''Britain in the Hanoverian Age, 1714–1837: An Encyclopedia'' (Taylor & Francis, 1997), pp. 39–40.</ref>。
 
現存する最古のブロードサイドは16世紀初頭にさかのぼるが、1550年以前のものは比較的少ない<ref>B. R. Smith, The Acoustic World of Early Modern England: Attending to the O-factor (University of Chicago Press, 1999), p. 177.</ref>。1556年以降、ロンドンの[[書籍出版業組合]]はすべてのバラドの登録を強制しようとしまし、そのときから1600年までの間に約2,000曲が記録されまが、印刷および配布が簡単だったためはるかに多くの曲が印刷された可能性がある<ref>A. W. Kitch, 'Printing bastards, monsterous birth broadsides in early modern England', in D. A. Brooks, ''Printing and Parenting in Early Modern England'' (Ashgate, 2005), p. 227.</ref>。学者たちはしばしば17世紀半ばまでの最も一般的で、より大きく重厚な「ゴシック」活字を用いた初期の[[ブラックレター]]・ブロードサイドと、より読みやすく、その後一般的になったより軽いホワイトレター、ローマン、またはイタリック書体を区別する<ref>G. Taylor, J. Lavagnino and T. Middleton, Thomas Middleton and Early Modern Textual Culture: A Companion to the Collected Works (Oxford University Press, 2007), p. 202.</ref>。ブロードサイド制作の中心地はロンドンのセブン・ダイアルズ地区だった<ref name="gammond">{{cite book| first1= Peter| last1= Gammond| year= 1991| title= The Oxford Companion to Popular Music| publisher= Oxford University Press| location= Oxford| pages= [https://archive.org/details/oxfordcompaniont00gamm/page/82 82-83]| isbn= 0-19-311323-6| url-access= registration| url= https://archive.org/details/oxfordcompaniont00gamm/page/82}}</ref>。
 
ブロードバンドは大量に生産され、1660年代までにイギリスで年間40万枚以上が販売されており、おそらく人気のピークに近いものだった<ref name="B. Capp 1985 p. 199">B. Capp, 'Popular literature', in B. Reay, ed., ''Popular Culture in Seventeenth-Century England'' (Routledge, 1985), p. 199.</ref>。多くは街の通りや見本市で旅の[[行商]]人や客を惹きつけるためにブロードサイドに印刷された歌を歌うバラド奏者によって売られた<ref>M. Spufford, ''Small Books and Pleasant Histories: Popular Fiction and Its Readership in Seventeenth-Century England'' (Cambridge University Press, 1985), pp. 111–28.</ref>。イギリスでは、最初はチャップブック、後に製本された本や[[新聞]]がそれに取って代わり始めたことで17世紀にブロードサイドの人気が低下し始め、19世紀には絶滅したように見えるまでになった<ref name="B. Capp 1985 p. 199" />。アイルランドではより長く発行され、北米ではこれほど大量に生産されることはなかったが、18世紀には重要な存在となり、[[アメリカ独立戦争]]では、両陣営に重要なプロパガンダの媒体を提供した<ref>M. Savelle, Seeds of liberty: The Genesis of the American Mind (Kessinger Publishing, 2005), p. 533.</ref>。
 
イングランドにおけるブロードサイドに関する知識のほとんどは、[[サミュエル・ピープス]](1633-1703)、[[ロバート・ハーレー (初代オックスフォード=モーティマー伯)]](1661-1724)など、いくつかの重要な人物がロクスバラ・バラドとなるブロードサイドを収集することを選択したという事実に由来している<ref name="B. Sweers, 2005 p. 45">B. Sweers, ''Electric Folk: The Changing Face of English Traditional Music'' (Oxford University Press, 2005), p. 45.</ref>。18世紀にはいくつかの印刷されたコレクションがあり、その中には[[トマス・ダーフィー]]の ''[[:en:Wit and Mirth, or Pills to Purge Melancholy|Wit and Mirth, or Pills to Purge Melancholy]]'' (1719-20)』、[[:en:Thomas Percy (bishop of Dromore)|トーマス・パーシー司教]]の ''Reliques of Ancient English Poetry'' (1765)、[[:en:Joseph Ritson|ジョセフ・リッツン]]の ''The Bishopric Garland'' (1784)などがある<ref name="B. Sweers, 2005 p. 45" />。スコットランドでは、[[ロバート・バーンズ]]や[[ウォルター・スコット]]などの人物が『スコットランド国境の吟遊詩人』''[[:en:Minstrelsy of the Scottish Border|Minstrelsy of the Scottish Border]]''(1802-03)で同様の活動を行っていた<ref name="B. Sweers, 2005 p. 45" />。最大のコレクションの一つは、 [[:en:Frederick Madden|フレデリック・マッデン卿]]によって作られたもので、彼は約30,000曲を収集し、現在はケンブリッジ大学図書館の ’Madden Collection' に収録されている[http://microformguides.gale.com/Data/Introductions/30330FM.htm Publisher’s Introduction: ケンブリッジ大学図書館からのマッデンバラッド]。現代のブロードサイド・バラド歌手には、{{仮リンク|トム・パクストン|en|Tom Paxton}}、[[ピート・シーガー]]、[[レナード・コーエン]]、[[:en:Greame Allwright|グレアム・オールライト]]、[[:en:Phil Ochs|フィル・オクス]]などがいる<ref>Ochs, Phil (August 12, 1967). "It Ain't Me, Babe". The Village Voice.</ref>。
 
== ブロードサイド・バラッド ==