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== 子孫 ==
[[ローマ内戦 (68年-70年)|68年からの内戦]]で[[ウェスパシアヌス]]の最大の支持者となり、[[イタリア]]に進軍、[[69年]]の[[10月]]に[[ベドリアクムの戦い]]で[[アウルス・ウィテッリウス]]の軍を打ち破ったマルクス・アントニウス・プリムス(20年~35年の間 - 81年以降)はユッルスの長男ルキウスの息子もしくは孫の可能性がある(Wellesley, Kenneth (2002). ''Year of the Four Emperors''. Roman Imperial Biographies )。プリムスの妹にアントニア・ポストゥマ(34年生まれ)という女性がいたという。この場合、プリムスはユッルスの孫もしくは曾孫、ユッルスの父マルクス・アントニウスの曾孫もしくは玄孫となる。これが事実なら、マルクス・アントニウス自死から少なくとも約100年後の西暦1世紀後半までアントニウス家男系の血統は存続していることになる。
 
== 家系図 ==