「マルクス・アントニウス」の版間の差分

アントニウスの死から約10日後にクレオパトラも自殺した。クレオパトラは生前にアントニウスと同じ墓に入れるよう遺言していたが、オクタウィアヌスはそれを認めた。
 
アントニウスの子供の内、[[クレオパトラ・セレネ]]などの女子は長生きし、クレオパトラ・セレネは[[マウレタニア]]王[[ユバ2世]]と結婚した。一方で男子に関しては義理の息子に当る[[カエサリオン]]と、フルウィアとの長男{{仮リンク|マルクス・アントニウス・アンテュッルス|en|Marcus Antonius Antyllus}}(Marcus Antonius Antyllus)はオクタウィアヌスに殺害され、{{仮リンク|アレクサンドロス・ヘリオス|en|Alexander Helios|label=アレクサンデル・ヘリオス}}や{{仮リンク|プトレマイオス・ピラデルポス|en|Ptolemy Philadelphus (son of Cleopatra)|label=プトレマイオス・フィラデルフォス}}はアントニウスの死から数年も立たない内に病死した。フルウィアとの次男・[[ユッルス・アントニウス]]はアウグストゥスの義理の甥として重用され[[執政官]]・アジア属州総督にまで登ったが、アウグストゥスの娘・[[ユリア (アウグストゥスの娘)|ユリア]]との密通により自死を強いられた。なお[[カリグラ]]、[[クラウディウス]]、[[ネロ]]といった皇帝はアントニウスの血筋を引いている。なお、ネロ死後のローマ内戦で活躍したマルクス・アントニウス・プリムス(20年から35年の間 - 81年以降)とその妹とされるアントニア・ポストゥマ(34年生まれ)はユッルス・アントニウスの長男ルキウス・アントニウスの子供もしくは孫である可能性がある。
 
== ユリウス・クラウディウス朝の家系図 ==
匿名利用者