「三井住友銀行大阪本店ビル」の版間の差分

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終戦直後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)は、住友ビルディングに第六軍第一軍団の司令部を置くことを決定し、住友本社に対して速やかに引き渡すよう通知してきた{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=222}}。当初、GHQは住友ビル全館を[[接収]]すると通告してきたが、GHQと交渉した住友土地工務専務だった竹腰が銀行や信託の使用している1、2階まで接収されると、一般大衆と深くかかわっている金融業務に重大な支障をおよぼし、大阪経済を大混乱に陥れかねないとして断固拒否したため、5階と食堂のある6階だけの接収で決着したという{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=222}}。
 
昭和30年代に入ると、住友ビルディングも入居各社の発展ににつれて過密状態になり{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=262}}、各社協議の結果、ビル東側に隣接する[[住友商事]]および住友家所有の土地約9,000㎡の敷地に地下4階地上1312階の新ビルを建設することが決定し、[[1959年]](昭和34年)9月に着工、[[1962年]](昭和37年)7月に竣工した。この新ビルは「[[新住友ビルディング (大阪府)|新住友ビルディング]]」と呼ばれることになった{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=263}}。同ビルの完成を受け、住友ビルディングは10月から住友銀行の単独所有となり、それを機に設計を日建設計工務(現:日建設計)、施工を大林組、電気工事を[[住友電気工業]]の担当で、改造工事に入り、屋上の中庭のあったところに400人の収容の[[講堂]]を増築したほか本店営業部の改装を行い、[[1964年]](昭和39年)末までに付属設備の更新工事も完成させた{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=263}}。
 
なお、ビルは[[1982年]](昭和57年)7月から住友銀行本店ビルと呼ぶようになり{{Sfn|住友銀行百年史|1998|p=263}}、[[2001年]](平成13年)4月の[[さくら銀行]]との合併を経て、三井住友銀行大阪本店ビルと称するようになった。