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保持力 -> 保磁力
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| 独自研究 = 2012年11月
}}
{{ディスクメディア
|名称=Video Home System
|略称=VHS
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== 歴史 ==
[[1956年]](昭和31年)に開発された[[アンペックス]]社の巨大な業務用[[2インチVTR]]を始まりとして、[[NTSC]]方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式が開発された。ヘリカルスキャン技術は1955年(昭和30年)に東芝が基本特許を出願。1959年(昭和34年)に放送用ヘリカルスキャン方式VTRを東芝が発表<ref>激突!ソニー対松下 ビデオに賭ける総力戦 日本経済新聞社 編  p.159</ref>。回転2ヘッドヘリカルスキャンは同年に日本ビクターが開発している。それ以降、各社は比較的コンパクトな[[オープンリール]]式のVTRを発売するが、方式は各社バラバラで統一規格は制定されていなかった。
 
[[松下電器産業]]・[[日本ビクター]]・[[ソニー]]の3社は家庭用VTRも見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格([[Uマチック]])に合意。発売したが高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途や教育機関、旅館・ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。
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先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL-6300)で、[[1975年]](昭和50年)[[4月16日]]に発表、同年[[5月10日]]に発売されている。
 
ビクターは親会社の松下電器産業(現:[[パナソニック]])にVHS方式への参加を要請したが、[[1973年]](昭和48年)に[[オートビジョン方式]]の家庭用VTR機器を発売したが失敗したこと<ref>{{PDFlink|[http://www.ritsbagakkai.jp/pdf/455_09.pdf 岩本敏裕『VTR産業の生成』]}} [[立命館大学|立命館経営学]] 第45巻 第5号 [[2007年]]([[平成]]19年)[[1)1]]<br />[http://www.toyo.ac.jp/rcm/sympo6-osone.html 第6回シンポジゥム『研究開発と企業競争力』/ 大曽根収「VHS世界制覇への道」] [[東洋大学]]経営力創成研究センター [[2006年]](平成18年)[[7月8日]]</ref>、[[1974年]](昭和49年) - [[1975年]](昭和50年)に子会社の松下寿電子工業(現・[[PHCホールディングス|PHC]])が開発した[[VX方式]]のデッキを販売していたこと、さらにベータ方式を支持する社内意見もあるなど、いくつかの要因が重なった社内事情により松下の態度は不鮮明であった。
 
[[NHK総合テレビ]]『[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]』の第2話では、1975年9月3日に[[松下幸之助]]がビクター横浜工場でVHS試作機を見学し、「ベータマックスは100点満点の製品だ、しかしこのVHSは150点だ」「ええもん造ってくれたな」と発言したと、試作機を覗き込む松下幸之助の写真つきで紹介されている。{{いつ範囲|ビクター社内報|date=2019年10月}}では、当時日本ビクターには松下電器から平田雅彦氏(後の松下電器副社長)が出向しており、VHS開発終了の情報が松下電器へもたらされ、ビデオ開発の中心にいた高橋氏がビクターを訪問しVHS試作機を見学、続いて松下幸之助氏が訪問、『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』が伝えるところでは、VHS1号機の発売前にすでに松下電器はVHS採用を決めていたとしている。
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長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため、[[1977年]](昭和52年)に[[アメリカ合衆国|米国]]市場向けの2倍モード(LP)が、日本国内向け機器にも[[1979年]](昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され、幅広い機種に搭載された。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後は5倍モードも開発され一部の機種に搭載された。
 
[[1972年]](昭和47年)に松下電器のビデオ事業部長になった[[谷井昭雄]](元社長)によると、VHS普及の最大の山場は1977年2月の[[RCA]]との提携だった。条件が付いて8月の出荷までに録音時間を2倍の4時間にすることも求められ、[[村瀬通三]](元松下電器副社長)などの技術陣が達成した<ref>「どん底事業部、世界一を生み出す」日本経済新聞2014年11月13日夕刊14面</ref>。松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCAより、[[アメリカンフットボール]]の録画のためさらに長い録画時間が必要という要望があり、2倍(LP)モードをつけたVHSデッキを開発。OEM供給したが日本ビクターの了承を得ないものだった。VHS標準(SP)モードより画質・音質が低下し、さらにVHS規格の互換性からも外れる事から日本ビクターは松下電器の勝手なふるまいに怒り、2倍(LP)モード録画対応機種を絶対に日本国内で発売しないよう松下電器へ強く要請していた。日本国内のVHS陣営各社も、標準(SP)モードの2時間もあれば十分で、4時間録画の2倍(LP)モード採用には、日本国内にはアメリカンフットボールのような長時間録画需要が当時は無かったため否定的で、VHS規格の互換性からも外れているために採用する動きは無かった<ref>激突!ソニー対松下 ビデオに賭ける総力戦 日本経済新聞社 編  p.85</ref>。
 
当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドで[[モノラル]]録音するものだったが、その幅は[[コンパクトカセット]]より狭く、テープスピードは3/4だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、[[S/N比]]の劣化([[ヒスノイズ]]の増加)および周波数特性の劣化が顕著となる。なお[[ワウフラッター]]はビデオではテープ走行は同期の乱れとなるために厳格に管理されていた。上位機種では音声トラックを[[ステレオ]]化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべく[[ドルビーノイズリダクションシステム]](ドルビーB)、[[dbx]]などの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたものの周波数特性には対応できなかった。その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを現在、持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。さらに問題なのがノーマル音声トラックに2ヶ国語の洋画を録画した場合であり、日本語と外国語が同時に再生される。当然のことながら[[スピーカー]]の左右バランスを調整しても解決はしない。
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[[1983年]](昭和58年)1983年3月、谷井昭雄と高野鎮雄、RCAのジャック・ソーター副社長の3人の写真が、当時の世界最大の国際[[週刊誌]]『[[タイム (雑誌)|タイム]]』の表紙を飾った。
 
同1983年[[4月]]、ソニーがステレオ[[Hi-Fi]]音声記録方式(ベータHi-Fi)を採用した「SL-HF77」を家庭用1/2インチビデオとしては世界で初めて発売した。ベータHi-Fiは従来ベータ機と輝度信号が4.4MHzから4.8MHzへ高域へのキャリアシフトも伴っており厳密な意味で互換性が失われたが、ベータHi-Fi録画されたテープを従来ベータ機で再生してもほとんど問題にならなかった。
 
ベータ陣営のHi-Fi化に対抗し、同1983年[[5月]]には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用し、ノーマルVHSと互換性のあるHi-Fiステレオオーディオ機能を追加した「NV-800」を発売。この機能はVHS Hi-Fiステレオ標準規格として採用された。松下の独自規格によるVHS Hi-Fi機「NV-800」はHi-Fi音声トラックの信号処理に[[dbx]]を使っていた。「NV-800」が採用したHi-Fi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHi-Fi方式をVHS規格化するにあたりdbx、[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビー]]社の[[ライセンス]]料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が開発され採用された。そのため「NV-800」で録画されたビデオカセットを、ビクター「HR-D725」以降発売された正式なVHS Hi-Fi規格ビデオデッキで再生すると、厳密には正式なVHS Hi-Fi規格との互換性が無いため、音声が多少歪む可能性がある。
 
同1983年秋には、ビクターから初めて正式なVHS Hi-Fi規格に対応した「HR-D725」が発売されている。このD725などの機種は前述のノーマル音声方式での録画・再生も可能でドルビーBにも対応していた。[[ダイナミックレンジ]]は当初80dB以上、[[1986年]](昭和61年)以降の機種では[[コンパクトディスク|CD]]の音声のダイナミックレンジとほぼ同等の90dB以上に向上した。[[周波数特性]]は20 - 20,000&nbsp;Hz{{efn|ただし、一部の高価格帯の機種に関しては標準モード・3倍モードにかかわらず、実際の再生可聴周波数帯域が'''最高で22,000Hz'''([[DAT]]レコーダーの48kHz/16bitによる標準モードと同等)'''まで達していた'''ものも存在していた。}}と、こちらもCDの音声の周波数特性とほぼ同等である。
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ベータでは、βI・βIs(5.6&nbsp;MHz Hi-Band)・βIsSHB(6.0&nbsp;MHz Hi-Band)・βII(X2)・βIII各モード、Hi-BandBeta(5.6&nbsp;MHz/βII・βIII)、BetaHi-Fi、ED-Betaなどの規格があったが、VHSでもSP(標準)・LP(2倍/日本国内仕様では再生のみ対応)・EP(3倍)・5倍各モード、VHS-C、VHSHi-Fi、S-VHS、S-VHS-C、S-VHS-ET、S-VHSDigitalAudio、W-VHS、D-VHSが乱立しており、VHS・ベータともに最初期の標準モード・βIモード専用機種等では、後に開発された長時間モードや高画質・高音質規格で録画されたテープが再生できない環境にあった。
 
ベータのビデオソフトではハイグレードテープを使用して、磁気保力が強い総メタルテープのマスターをスレーブのテープに超高速磁気転写プリントする方式をソニーが1980年代に開発したが、VHSでは高速磁気転写プリント方式の技術開発そのものが遅れたため、等速でのソフトウェア生産作業を余儀なくされることとなり、結果としてLDやVHD等のビデオディスクよりも高価なビデオソフト価格であった。1990年代に入り、[[OTARI]]がTMD高速熱転写方式による「T-710ビデオ・デュプリケーター」を開発し、VHS・SP(標準)モードで300倍速の高速プリントを実現しソフト製造の高速化が図られ、VHSビデオソフトの低価格化に貢献した<ref>[http://www.otari.co.jp/support/vintage/t710/index.html] オタリ株式会社 製品情報</ref>。
 
VHS対ベータ戦争の火ぶたが切られたとき、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーに[[OEM]]供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それは様々なメーカーで販売することにより他社の販売網を活用できる上、VHSが多数派であるという印象を持たせる狙いもあったと言われる。なお、ソニーもベータファミリー各社の生産体制が整わないうちには自社製品をOEM供給していた。
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VHS対ベータ戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬ[[ライセンス]]収入があった。これは[[1969年]](昭和44年)の[[U規格]]策定時にソニー/日本ビクター/松下電器の3社が結んだクロスライセンス契約が関係している。
 
ソニーはテープローディング技術を始めとする非常に多数のVTR特許技術を保有していたため、ソニーとクロスライセンスを契約を結んでいなかった日立製作所、三菱電機、シャープ、赤井電機などのVHS陣営各社がVHSビデオデッキを発売した際、ソニーと特許利用契約を結ぶ必要があった<ref>激突!ソニー対松下 ビデオに賭ける総力戦 日本経済新聞社 編  p.64</ref>。また、磁性材料から含め約28,000件にも達するビデオカセットテープに関する特許技術もソニーがほぼ掌握しており、ソニーとクロスライセンス契約を結んだ松下電器、日本ビクターはVHS方式発売当初、自社によるビデオカセットテープ生産設備を保有をしていなかったため、TDK・富士フイルム・住友スリーエムなどからのOEM供給で凌いでいた。ソニーと特許利用契約を結んだ日立製作所は日立マクセルのOEM供給によりVHSビデオカセットテープを発売。1978年(昭和53年)にソニーがクロスライセンス契約を結んでいないテープメーカーに対しても有償で特許を公開する方針としたため、テープメーカーが独自でVHSおよびBetaビデオカセットテープの発売が可能となった<ref>激突!ソニー対松下 ビデオに賭ける総力戦 日本経済新聞社 編  p.180~p180 - p.184</ref>。
 
ビデオ戦争の末期には、ソニー製のVHSビデオデッキを望む声が市場から上がっていた。このことがソニーがVHS方式に参入する一つのきっかけとなっており、VHS・ベータ・8ミリのフルラインナップで「VTRの総合メーカー」を目指す方針に転換した。[[1988年]](昭和63年)にソニーがVHS方式へ参入した際、障壁となるものは全くなかった。松下電器・日本ビクターとはクロスライセンス契約を結んでいたため、VHS参入時、松下電器・日本ビクターへVHS発売の了解を得る必要性すらなかった。前述の通りVHSはソニーの自社特許技術が多数採用された方式であったからである。また、当時ソニーの子会社だった[[アイワ]](初代法人)は親会社に先行してVHSに参入していた。
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[[2010年代]]に入っても、VHS一体型の[[DVDレコーダー]]ないし[[BDレコーダー]]が製造されていたが、各社とも[[2011年]]末までに生産完了となった。2011年末までVHS一体型のDVDレコーダーを発売していたのは、フナイと当時の子会社[[DXアンテナ]]以外では[[パナソニック]]の[[DIGA]]「DMR-XP25V」(パナソニック自社生産)と[[東芝]]「D-VDR9K」(フナイのOEM)であった。[[2012年]]2月10日、パナソニックが「VHSデッキの日本国内向け生産を2011年限りで完全終了した」旨を公式発表した<ref>{{cite news|title=VHS録再機の国内向け生産終了 パナソニック|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD100BX_Q2A210C1TJ2000/|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2012-02-10|accessdate=2014-01-14}}</ref>。
 
その後も[[ビデオ判定]]など一部で使われていたが、[[2012年]][[5月19日]]には[[横浜スタジアム]]で開催された[[横浜DeNAベイスターズ]]対[[千葉ロッテマリーンズ]]では、[[アレックス・ラミレス]]の[[本塁打]]性の飛球の判定に家庭用VHSデッキが使用され、映像では本塁打であることが分からなかったために[[ファウル]]と判定されたケースがあり物議を醸した<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/20/kiji/K20120520003289570.html|title=テレビは16型、ビデオは家庭用  友寄塁審「確認できないので判定通り」|date=2012-05-20|accessdate=2012-05-20|newspaper=スポーツニッポン}}</ref>。
 
2016年4月時点で新品として流通していたVHSデッキ(録画再生機・再生専用機)は以下の通りで、全機種がフナイのOEM。一定のニーズがあり価格競争も起こらないので販売を続ければ利益も出る状況にはあったが、同年7月末には部品の調達が困難となったために生産継続を断念せざるを得なくなり、全機種が生産終了に至っている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLZO04817850T10C16A7TI1000/ VHSビデオ機生産に幕 国内勢最後の船井電機、7月末で] 日本経済新聞 2016年7月14日</ref><ref name="sankei20160726"/><ref name="sankei20160817"/>。
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;RVP-100(再生専用VHSプレーヤー)
:[[2013年]][[12月]]中旬に[[ドウシシャ]]([[山水電気|SANSUIブランド]])から発売された。
:4ヘッドHi-Fi音声対応で[[DRC|デジタルトラッキング]]を搭載した「再生専用」のVHS機であり、家庭に眠るVHS資産のDVD化やBD化、データ化に寄与する目的で商品化された<ref>[http://prw.kyodonews.jp/prwfile/release/M101005/201312036724/_prw_OR1fl_k3578QjQ.pdf RVP-100の公式発表リリースPDF ]</ref>。
 
== 規格一覧 ==
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** ノーマル2トラック(ステレオ音声。[[1978年]](昭和53年)の[[音声多重放送]]開始に対応するために追加された。[[ヒスノイズ]]が増加したため、対策として[[ドルビーノイズリダクションシステム]]Bタイプを搭載した。なお、{{要出典範囲|ノーマル2トラックへの録音に|date=2015年5月}}対応する製品は[[1987年]](昭和62年)・日本ビクターのHR-S10000以降生産されていない{{efn|{{要出典範囲|録音に対応する|date=2015年5月}}民生用機種の生産は終了したが、再生のみ対応する機種や、いわゆる業務用機種で対応した製品は、その後も生産されている。}})
** Hi-Fi2トラック([[1983年]](昭和58年)に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた)
**S-VHS DA(DigitalAudio・ [[パルス符号変調#リニアPCM|リニアPCM]])過去には[[日本ビクター]]製の[[1990年]](平成2年)発売の「HR-Z1」、パナソニック製「NV-DX1」、日立製作所製「VT-PCM1」、三菱電機製「HV-V3000」に対応する外付式DAプロセッサ「CX-P3000」など、国内のメーカーから対応する製品が発売された。[[衛星放送]]の[[エアチェック]][[ファン]]などから[[DAT]]並みの高音質と高く評価されたが、1台30万円から40万円前後の高価格が災いし、わずか1世代で生産が終了した。
**CDやHi-Fi規格もない[[1980年代]]前半、VHSカセットを用いた高音質・非圧縮PCMデジタルオーディオデッキ[[テクニクス]]「SV-P100」が60万円。日立製作所[[Lo-D]]「PCM-V300」が498,000円と高額ではあるが発売されオーディオマニア層を中心に愛好されていた。1986年(昭和61年)に東芝より「A-900PCM」が248,000円で発売され[[グッドデザイン賞]]を受賞している。<ref>{{cite press release |url= https://www.g-mark.org/award/describe/12610 |title= ビデオテープレコーダー [A-900PCM] | 受賞対象一覧 | Good Design Award | publisher = 公益財団法人日本デザイン振興会|language=日本語 | accessdate = 2019-09-29 }}</ref>
* 信号方式
** 映像信号:[[周波数変調]](FM)シンクチップ:3.4&nbsp;MHz/白ピーク:4.4&nbsp;MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式)
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* VHSカセットから派生されたものとして、PVC(Premium Video Cassette)がある。プレミアムボックスという開閉できる透明な蓋がカセットの背ラベル部分に付いている。ここには[[セルビデオ]]の特典物の小物(模型やキーホルダーなど、重量40[[グラム|g]]まで)を収納することができる。ジャケットの背ラベルにも穴がくり抜かれていて、ボックス内が少し見えるようになっている。ボックスの開閉に支障となる物、その他同梱に不適当な物(粉類、水、油、磁気性のあるもの、溶けやすいもの、膨張するもの、液漏れしやすいもの、食品や菓子類、電池、壊れやすいもの)は収納できない。
* [[1990年]](平成2年)に[[任天堂]]が発売した家庭用ゲーム機「[[スーパーファミコン]]」は、そのゲームソフトのパッケージ寸法がVHSテープと全く同じであった。この時点ではすでに多くの一般家庭にVHSが普及しており、VHSのビデオテープ収納棚(ビデオラック)においても安価なものが出回っていたため、ゲームカセットの保管場所としてVHSのビデオラックが好まれた{{要出典|date=2020年9月}}。
* 1980年代〜1990年代にかけて、映画や音楽ビデオテープの[[ダビング]]サービスが商売として横行していたが、現在は[[著作権]]の問題からそれらのダビングを{{要出典範囲|政府が法律で禁止|date=2019年11月}}している。
* 1990年代後半にDVDが発売された際、VHSをそのままDVDにしている作品が多かった{{要出典|date=2020年9月}}。
* [[モーニング娘。]]は2000年から2004年まではVHSとDVDを同時リリースしていた。
 
== 関連映像 ==
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== 参考文献 ==
* ジェームズ・ラードナー、西岡幸一『ファースト・フォワード  ――アメリカを変えてしまったVTR』ISBN 4-89362-039-8
* 中川靖造『ドキュメント 日本の磁気記録開発  ――オーディオとビデオに賭けた男たち』{{全国書誌番号|84025231}}
*[[JIS C 5581]] VHS方式12.65mm(0.5&nbsp;in)磁気テープヘリカル走査ビデオカセットシステム
 
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{{Video storage formats}}
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:VHS}}
[[Category:VHS|*]]
[[Category:ビデオテープ]]