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司会 柳先生
 
 それでは第三部、最後の部となります、討論会に入らせていただきたいと思います。まず司会は私、柳が引き続き務めさせていただきます。最初に私の方から本日の講演会を簡単にまとめさせていただいた上で、その後ご開催くださいました城満寺の田村老師から、今回を振り返ってということでコメントと、もしよろしければご質問などいただければと思います。その後、木村先生と古川老師に、またコメントをいただければと思います。
 本日の講演会は「禅の師・瑩山紹瑾大和尚 - 洞済両門からの視点」ということで、曹洞宗からは木村老師、臨済宗からは古川老師のお二人からご講演をいただきました。お聞きしまして、開催された田村老師の采配がすばらしいな、と改めて思いまして、一人の老師を違った宗派の視点から見ると同時に、お聞きしていたら「そうか」と思いまして、実はこれももう二つ別の視点からお話ししていただいていたということに、皆さまも気付かれたかと思います。一つは学問の視点、もう一つは実践の視点です。とは言いましても、木村先生にいたしましても、木村先生は長年、東京大学で教鞭を取っておられて、華厳の専門家でいらっしゃいますが、曹洞宗のお坊さまでもいらっしゃいますので、もちろんどちらもされていらっしゃいますし、古川老師も、老師として臨済宗で指導をされていらっしゃいますが、ご自身でも謙遜されて「学者の卵」とおっしゃっておられましたが学問をしっかりしていらっしゃった方であります。ですが、今回のお話を拝聴しますと、木村先生は主に学問の視点から、古川老師は実践の視点からお話しいただいたと思います。
 それで振り返ってみますと、木村先生はまず、瑩山禅師という方についてご説明いただきまして、今の曹洞宗の二つの大本山のうちの總持寺を開かれた方です、と。その總持寺の瑩山禅師の言葉というものは、直接私たちはお目にかかれませんので、本が残っています。ところがその本も、だいぶ時間が経ってしまっているので、後から混ざったものもありますし、元々古いものでもそこに後から人が加えたものも入っているというケースもあると。そういったものを整理した時に、瑩山禅師の古い考え、瑩山禅師ご自身の考えはそういうことなのだろう、ということを簡単にお話しいただきました。それは、今日本に伝わっている仏教は大乗仏教と言いまして、それは大きな乗り物、人々の救済をするという仏教でございます。それが今から二千年前にインドで現れるわけですが、その大乗仏教の流れを瑩山禅師がしっかりと受け止めておられ、それは慈悲と利他の精神であると、自分の救済を考えるのではなくて、人々を救い続けるという精神が非常に重要なんだというお話をしてくださいました。
 それに対して古川老師は、『信心銘拈提』という、同じ瑩山禅師の本を取り上げてくださいまして、それを現場の立場から、実際の実践の立場からそれを読み解いてくださいました。それは、臨済宗というものが細かい端的な言葉でそういったものをコメントするわけですが、それに対して曹洞宗の瑩山禅師は、非常に丁寧に、綿密に、論理的にそれを説明してくださっている、と。それは一人ひとりに合わせて熱心に指導される本であったということをおっしゃってくださいました。その中で、問題点としては、一見分かりやすいけれども、その論理だけなぞって分かってしまったと思ってしまうと、実は大問題で、それを自分の身に即して理解することが重要なのだというお話でございました。現場のテキスト、実践の本だからこそ、読み手も主体的な読みが必要になるというお話であったと思います。
 このように、学問と実践という二つの立場から、それぞれ瑩山禅師についてお話しくださったわけですが、ただそれを改めて見てみますと、その両方の側面から見ていても、実は同じ重要なポイントについてご指摘いただけたのではないかと思います。それは何かというと、私の言葉でまとめますと、「永遠の仏行」と、永遠に仏教者として生き続けるということではないかと思いました。それを、木村先生は「常発心」、常に発心し続ける、常に菩提を求める心を起こし続けるのが、瑩山禅師の重要な誓願であったとお話しくださいましたし、また古川老師は『信心銘拈提』の中で、この句が重要だとおっしゃってくださったのが、「諸仏は永遠に修して、なお未だ休せず」と、一切の仏さまというのは常に実践し続けておられるので、未だかつて止まったことが無い、永遠に実践されているのだということをおっしゃってくださいました。それなので、私はこのお二人のお話を聞いて、さすが田村老師、私の先輩に当たって、田村先輩なのですが、田村先輩さすがに素晴らしい人選だと思いながら、私は瑩山禅師の勉強をちゃんとしたことがないので、未だに何で私が呼ばれたのだろうと分かっていないのですけれども、なるほどこういうことだったのだな、と。それで、実践、学問、曹洞宗、臨済宗、違う立場から見ても、瑩山禅師は永遠の仏行を実践しておられた。それを今、改めて見ていく必要があるのではないかというのが、今回のお二人のご講演の重要なポイントだったのではないかと思いました。
 続きまして、この講演会を主催してくださいました田村老師の方から、お言葉を頂戴できればと思います、よろしくお願いいたします。
 
田村
 
 期待通りに素晴らしいまとめをしてくださって、コーディネートにはぴったりと、最初から思っておりましたので、そういう意味でこちらにおいでいただいたとお考えいただければよろしいかと思います。
 私事になりますが、私は今、徳島の城満寺というお寺で住職をさせていただいておりまして、もう丸七年が過ぎ、八年目に入っておりますが、そのお寺の御開山さまが瑩山紹瑾禅師ということでお勤めをさせていただいておりまして、このお寺の方向性をどうするか、ということがどうしても常に迫られております。それで、では瑩山禅師の開かれたお寺なのだから、瑩山禅師のとおりにやろうという、単純な発想で取り組みましたところ、ところがそれが中々難しいという問題に当たったわけです。先ほど『清規』というものが出て来ましたけれども、この『清規』には非常に細かく、この時はこうしなさい、何時に何をして何日には何をして、全部書いてあるのですけれども、しかしその中でもいろいろ分からないこと、それから、どうしてもできないことがあります。睡眠が非常に短かったり、枕の形が分からないとか、札をどこに掛けるのかとか、太鼓の叩き方が書いていないとか、いろいろあるのです。そういうものに当たるのもございますし、またその瑩山禅師が書かれた、教義上のものですね、今日取り上げていただいた『信心銘拈提』などはその最たるものでございますが、これも中々取り組みにくいところがありまして、それで本日このような企画で勉強を進められたら、と。私自身の勉強も兼ねまして、先生方お二人にお出でいただいたわけでございます。
 木村先生のお話も、私は文献に立ち向かって実践に移そうという努力を毎日しているわけでございますが、木村先生におかれましては本当に瑩山禅師の実践上、思想上の諸問題にまで踏み込んでお話をいただきました。これは、ちょっとやそっとのことでは、「瑩山禅師はこういう人だ」ということは中々言えないのです。大変な、文献的、それから背景的知識があって初めて、口を重く「こうではないか」と注意付きで言っていかなければいけない、なぜかというと、それが後々の研究で覆される可能性も当然あるわけですから、「ではないか」と言わなければならないということを私も学生の頃にだいぶ叩き込まれましたけれども、それでもこれだけのことを先生に瑩山禅師像として御呈示いただけましたのは、本当に素晴らしいことであったと思います。また、諸問題の最後に「生死去来真実の人」というところをおっしゃっていただきましたが、これは『坐禅用心記』の一節ですけれども、奇しくも私の一番弟子の絡子の裏には「生死去来真実の人」と書きまして、そこにいる私の二番弟子の絡子の裏にはその次の「四大五蘊不壊の身」という対の句を書かせていただいているところでございます。そこで、木村先生にお訊きしたいところは、このように瑩山禅師に帰される文献にはいろいろな問題があるところでございますけれども、これを実践するに当たって注意すべき点と申しましょうか、特に『瑩山清規』の扱いにつきまして、少しお話をいただければとご質問申し上げます。
 また古川老師には、『信心銘拈提』につきまして、どうしても私どもは字義解釈に終わってしまう。ここの意味はこうで、ここの意味はこうで、ということで文献に当たっていくという姿勢が染みついてしまっておるものですから、生き生きとこの文章を呈示していただいたのは、私どもには大変新鮮な思いで聞かせていただきました。瑩山禅師は、紀伊の由良の興国寺の無本覚心禅師に参じたり、大乗寺の後住に臨済宗の恭翁運良禅師を請したりしておられますけれども、お話しいただきましたとおり、『信心銘拈提』は非常に懇切丁寧になっておりまして、言われてみればたしかに、すでに瑩山禅師の文章の中に、禅師の家風のあり方が込められているような感じもいたします。そのことについて、もう少しお話を頂戴できればと存じます。
 
木村先生
 
 どうもありがとうございました。私も本当に、瑩山禅師のことについてはそれほど長くこつこつと勉強してきたわけではございませんので、私の今の範囲で今日はお話をさせていただいただけなのです。
 それで、今の田村老師のご質問ですけれども、『瑩山清規』の問題は本当に、先ほど少しおっしゃっていたように、どこまで私どもが実践していけるのか。田村老師だから私は、それをその通りに、御開山さまだからその通りにしていこうということで、まっすぐに真面目に受け止めて、それをそれこそ七百年の時を超えて写そうということで進めておられる。こういう姿勢そのものが、私はとても大事だし、それを望まれていたのかなということをまずは、思うのです。今お聞きになったら、瑩山禅師はそれを非常に嬉しく思われるのではないかという気がいたします。もちろん、この『清規』の問題というのは、一面から言えば、やはり歴史的に成立するものですし、当時の大きな流れと言いましょうか、特にいろいろなことを勉強しておられますので、そこから選択し組み上げていくというのでしょうか、そういうことだったのだろうと思うのです。実際それで、『清規』に書かれていないこと、むしろ常識的に分かっていたことは書かれないというのが、だいたいの文献の特徴なのですよね。それですから、その通りにやろうとした時に、今に伝わっていないものについては、一体どうなのだろうかと、これは必ず疑問を持ってしまうのではないかと思うのです。ですから、できるだけそこに近づくというか、現在書き残されているものの精神というものを汲み取って、それに近づけるということしかできない。もちろん実際上、今は日本の各禅宗系のお寺なり、あるいは中国のお寺で使われているもの等を勉強され、調べられるということも大事だと思うのですけれども、それでもやはり、瑩山禅師のお書きになったもの、あるいは行持として定められたものの中に流れる精神をしっかりと見極められて、新たなというか、補強されるような、補われるような、いわば増訂版『瑩山清規』を目指して、作っていっていただければ良いのではないかと私は思います。最終的には、それしかできないのではないか、という気がしております。まあご参考になったかどうか、以上です。
 
古川老師
 
 多分ですけれども、私も昔勉強していた分野はヨーロッパのもので、仏教に専門ではないので、細かいことは分からないですけれども、ただいろいろ読んでいきますと、たとえば禅宗で言いますと、東福寺の円爾弁円とか夢窓国師もそのような匂いがいたしますけれども、密教がかなり入っていて、あと栄西もそうですよね。それで読むと、結構本気なのですよね。だから、本当に何宗という宗派の意識ができてきたのはもう少し後の時代、近代の時代で、昔は意外とそういうものは全然平気だったのではないかと私も思うことがあります。というのは、先ほども少しこの話が出たのですけれども、坐禅だからやはり遠くのものが大きく見えるのかも知れませんけれども、やはり時代を遡っている祖師方の存在のほうが遥かに大きな存在に見えますし、単純な言葉の中にすごい言葉がいっぱい出てくるのです。だから、とてもじゃないけれども及ばないところがあります。そうすると、やはり単純な時代ですから、信念も信仰もまっすぐだし純粋だから、我々が想定も及ばないような脚色したものがある。そうすると、そういう細かい教えというのはツールでしかないですから、ツールよりももっと本質を見るということで、人を見てちゃんと持っていくような、そういう時代だったのではないかなと。だから、あちらこちら、由良の興国寺の法燈国師なんて、もう世にああいう人は出ないではないですか。すごい人だったと思うし、それでも回って回ってというところがやはりある種、修行僧である。そういう風に、自分の何で見極めなければならないか。素晴らしいかどうかを見極める時に、何を基準に見極めるかというところは今と違っていて、ちゃんと明確にポンと分かる、感覚として分かるという時代だったのではないかな、と。そうすると私は野蛮なことを言うのですけれども、犬や猫というのは、犬嫌い、猫嫌いは、分かるではないですか。動物は、自分の付くべき人というのはすぐに分かるのですよね。人間だって、見た瞬間に「この人は」とやはり分かるのではないか、そういうことを信じていいのではないか。そういうものが無ければ、信仰の世界、宗教の世界は、無いのではないかな、と。そのあたりで、私たちが逆に感覚が鈍っているだけで、自分に師を当てたら会えるかなというのが私の、煮え切らない言い方ですけれども、思いかというところです。
 
司会 柳先生
 
 ありがとうございます。では、もう六分しか時間が残っていないのですが、もしご来席の皆さまに何かご質問がございましたら、せっかくですからこの機会に、と言っても時間がすごく限られていますので、一言二言でご質問を頂戴できればと思うのですけれども、どうでしょうか、どなたかいらっしゃいませんか。
 いらっしゃいませんか。では司会者特権で、私のほうから質問をさせていただきたいと思います。
 木村先生にお尋ねしたのは、「誓願と体験の繰り返し」というものが折り重なって瑩山禅師の生涯が成り立っているという点が、非常に面白いと思いまして、その際に宗教的な体験というものが、いわゆる私たちの言うような悟り、よく禅宗が悟りと言いますが、そういったものなのか、それと違うものなのか、ということがお尋ねしたいところです。
 古川老師には、坐禅をどうしたら良いか分からないというのが『信心銘拈提』に出会ったきっかけだと聞いて、非常に私は興味深く拝聴しまして、坐禅でずっと心を見つめる時、「たよりが無い」という表現をされましたけれども、「ああ、たしかに」という、自分でも坐禅をしていてよく分からない時に「たよりが無い」という表現がぴったりだなと思ったのですけれども、『信心銘拈提』をご覧になって、ご自身で本当に行くべき道についてどのように指針を付けられたのか、どういう風に坐禅をするようになられたのか、ということをお尋ねしたいと思います。
 
木村先生
 
 実は、わざとこれを「宗教的体験」と。つまり、禅では一般にやはり「悟り」と言いますよね。資料にも明確に現れるのですが、「聞鐘悟道」と、悟りという言葉を使って表現されているところも、あちこちにあるのです。ただどうも「悟る」というのは、もちろん今私どもが使っている日本語としての「悟る」あるいは「悟り」という言葉にも、かなりのいろんなレベルが加わるのですが、宗教体験も本当に私はそういうレベルがあって、その分かり方が違うというか。昔は、同じく真実を表す時でも、「真如」とか「実相」とかいろいろな表現があるのですが、それが実は奥深いところかどうか、あるいはどこまではっきりと見えているか、です。深さと、明確さ。この二つを基準にして、言葉を使い分けなければいけないということを、鳩摩羅什という人が実は言っているのです。そういう問題も含めて、いわゆる「悟り」というのは、あまりにも一般化し過ぎている言葉ではないかと思うのです。むしろ私は、瑩山禅師の場合には、何かハッと気付いていく、気付きの連続というのか、気付きの深さというものが、瑩山禅師の人生を作っていく、その気付きを確実にしていく意味で、誓願を立てる。誓願というのは、自らに誓う、自らに誓わせると言った方が良いのかも知れませんけれど、そういう意味を持ちますよね。自分で「こうしよう」と決めたら、やはりそれを動かしてはいけないし、真面目な人であればあるほど、一生懸命であればあるほど、動かせない、動かない、はずものなのです。そういうものがある中で、そういうものから宗教体験的なもの、気付きの、一つの結晶でもあるし、それがまたベースになって、次の気付きが生まれていくということですが、そういうことが、どうも瑩山禅師の伝記を拝見していると、私は感じるのです。私自身の人生に照らして、もちろん浅さ深さは違うのですけれども、何かそういうものがあって、これは今度こうしよう、こっちの方向に行こう、というようなことばかり、いろいろございました。そういう繰り返しの中で、それなりの人生、自分でも納得のできる人生というものが、できていくのではないかというようにも思っているところなのです。それで自分の思いをむしろ当てはめたのかも知れませんが、自然にそういう受け取り方をせざるを得ない。一回きりの悟りというのは、昔の太古の世界にはあったのかも知れません。だけれどもそうではなくて、やはり薄いというのが一つの焦点ではあるけれども、何かもう一つはっきりしないような世界があって、それがだんだん霧が晴れるように明確になっていく、そういう歩みというか、それがいわゆる「悟り」の中にもあるような気がしています。だからそれを、もっと一般化して「宗教体験」という言葉で実は今回はまとめさせていただいた、ということでございます。
 
古川老師
 
 坐禅の話なのですけれども、坐禅中にどうするかということは、実は道場で坐る人にとっては、実践的な問題なのですよね。逃げたりするわけにもいかないし、怖い先生も周りにいるわけですからね。公案で追い立てられるのものですから、答えていかないとならんから、直接瑩山禅師の『信心銘拈提』から出てきたわけではないのですが、ただ私にとって非常に指針になったのは何かというと、一つは、臨済の修行をしているとちょっと抜け落ちてくることは何かというと、自分が気付いたり得たものが、応用するところにおいて、やはりきちっとした形で言語化できるということは、臨済というのはちょっとないがしろにするのです。結局それを自由に崩してみることについては、非常に重たいのですよ。だから老師という人は弟子を見て、積んだものを崩すようなことを言って導くことは、非常に細かいのだけれども、では自分がそれを芯のある言葉で積み上げた現実を作り上げたかというと、それは作れないし、ただ、作る必要も無いという立場なんですね、現場だから。だけど実際には、瑩山禅師のものというのは、さっきお話ししましたように、ものすごく差し込むところと、きちっとしたところとか、全部が体系的に入っているわけですよ。ということは、ちゃんとした修行をすれば、やはり論理の言葉として出てこなくては、やはり嘘ではないか。臨済の過去を見ると、論理の言葉を積む作業をするというのは、やはり学者だとか何だとか悪口言われるし、そういうのを認めないような過去なのです。だけど実際には、やはりちゃんとした言葉が積まれなかったら本当ではないのではないか、という意味で、だから私はどちらかというと、それはちゃんと積み重ねなければと思ったのが、瑩山禅師の『信心銘拈提』を読んで思って。あれはきちっと論理化できるし、あの時代にあってこれだけ精密に論理を立てるというのは、かなり驚異的な細やかさと頭脳なんです。
 それがすごいということが一つと、それからもう一つはやはり、今先生がおっしゃったように、気付きというか、あんなに読めないのですよ、『信心銘』って。いやもう、「こんな風に読んでいるなんて、すごいな」と。で、通して読んでいくと、こういう風に読んだらすごいな、とやはりある種の凄みがあるわけです。それは、気付きだと思うのですよね。結局それを見て、何をやっているのか目的は分からないけれどただ夢中になって一生懸命坐っていると、いつか何かが自分の中に熟してきて、パッと文章に触れたり、何かに触れた時に、パッと違うように見えてきたり感じられるような場というものがあって、それが、こうすればこうなるという因果関係は分からないけれども、ただ、行をやっていると、必ず気付きがあるのです。そうすると、同じものを見ていても、言うことが違ってくるのです。そういうタイミングがあるのであって、だってあんな文章にならないですよ、普通ではあんな風に書けないですよ。それもある種やはり気付きと、それを確定する作業であって、繰り返しながら、自分の殻を破りながら新しい殻を作って、それをまた破りながら、とそういう風にやっていく作業かな、というのは思います。だから、知的な作業というのはもうちょっと私は取り上げていくべきだし、ただ実践的に動ければ良いのではなくて、それをやはり言葉の世界でも一度出せなかったら、やはり禅の修行としてはあまり良くないのではないかなというのが、私の考え方です、今は。その基本にあるのはおそらく、最初に『信心銘拈提』を読んだ時に思ったことだと思います。あの時代にこんなテキストは、たぶん他に無いと思いますよ。これだけ完備されたテキストというのは。私らはだって、基本的には、京都学派の鈴木大拙先生とか西田幾多郎先生が言うまでは、どこにも無いと思っていましたからね。もちろん手に取らなければいけない文章ではないけれども、しかし全然、整合的にきちっとしたものになっていますから、これだけシャープで、これだけのものがちゃんと分かるということは、かなりすごいことだと、私は思います。
 
司会 柳先生
 
 では、お時間となってしまいました。本当に限られた討論で、まだまだ論じ足りないところもあるかとは思うのですけれども、最後に主催者の田村老師からお言葉を頂戴して、この講演会を終わりにしたいと思います。
 
田村
 
 本来でしたらもう少し時間を取らせていただいていたのですけれども、私のほうの都合でこのような短い時間になってしまいましたが、しかし今回の講演会を通しまして、今日の主題であります「禅の師・瑩山紹瑾大和尚」ということで、「太祖大師」という大きな象徴的な存在から、むしろ一人の禅の先生としての瑩山禅師像が、多少なりともイメージが湧いてきて、「取り組みたい」というイメージが私には湧いてまいりました。皆さまにも、同じような感覚が共有できていればなと思います。本日は、ありがとうございました。
 
司会 柳先生
 
 ではこれで、講演会を終わりとしたいと思います。皆さま、長時間にわたりお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
 
===インド独立後===