「李智雲」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の d:Q11096905 に転記
編集の要約なし
1行目:
'''李 智雲'''(り ちうん、[[604年]] - [[617年]])は、[[中国]]の[[唐]]の高祖[[李淵]]の五男。もとの名は稚詮。楚王に追封された。
 
== 経歴 ==
李淵と万貴妃の間の子として生まれた。弓射と書をよくした。
 
[[617年]]、李淵が[[太原]]で起兵したとき、異母兄の[[李建成]]・[[李元吉]]らとともに河東にいた。李建成らは太原に逃げ去ったが、智雲は[[隋]]の捕吏につかまって[[長安]]に送られた。[[陰世師]]によって殺害された。
 
[[618年]]、楚王に追封され、哀と[[]]された。[[620年]]、[[太宗 (唐)|李世民太宗]]の子の[[李寛]]が後を継ぎ、智雲には[[涼州]]総管・[[司徒]]の位を追贈された。
 
== 伝記資料 ==
12行目:
* 『[[新唐書]]』巻79 列伝第4「楚王智雲伝」
 
{{DEFAULTSORT:り ちうん}}
[[Category:唐の高祖の子女|ちうん]]
[[Category:604年生|りちうん]]
[[Category:617年没|りちうん]]