「ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス」の版間の差分

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パルミラで勝利を収めたアウレリアヌスは東方をプロブスに委ね、西方属州に割拠していた[[ガリア帝国]]に目を向けた。[[274年]]、ガリア皇帝[[テトリクス1世]]は帝位を返上してガリア帝国をローマへ復帰させることを望んでいたため、アウレリアヌスと示し合わせた上で、[[シャロン=アン=シャンパーニュ]]で対陣した後にローマへ降伏した。こうして西方属州もローマ帝国へ復帰することとなった。
 
アウレリアヌスは三分されていた帝国を再統一することに成功、[[274年]]ローマに於いて[[凱旋式]]を挙行、この際に征服した各民族と共に[[ゼノビア]]を連行したことで話題を集めた。また、これら一連の功績により[[元老院 (ローマ)|元老院]]から「"Restitutor Orbis" /レスティトゥトル・オルビス('''世界の修復者''')」の称号を得た。
 
=== 最期 ===