「フランクリン・デラノ・ルーズベルト・ジュニア」の版間の差分

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兄[[ジェームズ・ルーズベルト|ジェームズ]]や[[エリオット・ルーズベルト|エリオット]]同様にトラブルが多く、特に交通違反が多かった。1934年には傷害事故を起こし、父が4500ドルを支払っている<ref>Hansen, 106</ref>。
 
5回の結婚歴と4回の離婚歴がある。最初は1937年6月30日に[[の妻・エセルとの間に2男、2番目の妻デュポスザ]](1916年1月30日 - 1965年5月25日)結婚し、の間に2女、4番目の妻・パトリシアとの間に1男の合計5(3男2女)がい
* [[フランクリン・デラノ・ルーズベルト3世]](1938年7月19日 - )
* クリストファー・デュポン・ルーズベルト (1941年12月21日 - )
 
1949最初は19376月30日正式に離婚した。[[エセル・デュポン]](1916年1月30日 - 1965年5月25日、49歳で自殺)と結婚、2人の息子がいた。
* [[フランクリン・デラノ・ルーズベルト3世]](1938年7月19日 - ) - 長男。
* クリストファー・デュポン・ルーズベルト (1941年12月21日 - ) - 次男。1965年6月に結婚している。
 
エセルはフランクリンの政界活動の付き合いに疲れて精神を病み、1949年に正式に離婚、1950年12月にベンジャミン・S・ウォーレン・ジュニアと再婚し、1954年にベンジャミン・S・ウォーレン3世を儲けた。彼女は死の前に何度か精神科の治療を受けていたが1965年5月25日、精神を病んだまま49歳で自殺した。
その後の妻スザンヌ・ペラン(1949年結婚、1970年離婚)、フェリシア・シフ・ウォーバーグ・サーノフ(1970年結婚、1976年離婚)、パトリシア・ルイサ・オークス(1977年結婚、1981年離婚)、リンダ・マッケイ・スティーブンソン・ウェイカー(1984年に結婚し、1988年に死去するまで連れ添った)と結婚した。
 
その後の妻スザンヌ・ペラン(1949(1921年5月2日生まれ。1949年結婚、1970年離婚)、フェリシア・シフ・ウォーバーグ・サーノフ(1970(1927年生まれ。1970年結婚、1976年離婚)、パトリシア・ルイサ・オークス(1977(1951年生まれ。1977年結婚、1981年離婚)、リンダ・マッケイ・スティーブンソン・ウェイカー(1984(1939年生まれ。1984年に結婚し、1988年に死去するまで連れ添った)と結婚した。
 
2番目の妻・スザンヌ・ペラン(1921年5月2日 - )との間は2人の娘がいた。
* ナンシー・スザンヌ・ルーズベルト (1952年1月11日 - ) - 長女
* ローラ・デラノ・ルーズベルト (1959年10月26日 - ) - 次女
3番目の妻・フェリシア・シフ・ウォーバーグ・サーノフ(1927年 - )との間に子供はいない。
 
4番目の妻・パトリシア・ルイサ・オークス(1951年 - )との間には、1人息子がいた。
* ジョン・アレクサンダー・ルーズベルト (1977年10月18日 - )<ref>(FDR Presidential Library)</ref> - 三男。
5番目にして最後の妻・リンダ・マッケイ・スティーブンソン・ウェイカー(1939年 - )との間に子供はいない。
 
[[肺癌]]との闘病後、[[ポキプシー (ニューヨーク州の市)|ポキプシー]]で1988年8月17日、74歳の誕生日に死亡した。
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