「縦横家」の版間の差分

(→‎代表的書物: 忌避を避諱に訂正)
諸子百家といわれるものにはほかにも各国を説いて回ったものはいるが、それらの多くがそれぞれの思想に基づく理想を実現するためであったのに対して、いわゆる縦横家にはそのようなものはなく、ただそれぞれの国において喜ばれるような政治手法を論じるのが常であった。たとえば[[蘇秦]]は合従を[[燕 (春秋)|燕]]の文公に説いて六国をまとめ、十五年にわたって[[秦]]の東進を止めたが、伝説によると燕を訪れる前に彼は秦に向かっており、そこでは彼は東進して覇を唱える方法を論じた。彼が秦で認められなかったのは全く秦の都合だけであったという。
 
後世、縦横家の書物は、後述の『[[鬼谷子]]』を除いて全て[[逸文|散逸]]してしまった。そのため、『[[史記]]』や『[[戦国策]]』などの中に故事活躍が伝えられるのみだった。しかし[[1970年代]]、古代遺跡の[[馬王堆漢墓]]から、蘇秦の[[書簡]]や弁論を集めた書物(『{{仮リンク|戦国縦横家書|zh|戰國縱橫家書|label=}}』)が出土した<ref name=":0">{{Cite web|title=UTokyo BiblioPlaza 戦国縦横家書|url=https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/B_00066.html|website=www.u-tokyo.ac.jp|accessdate=2020-09-03|language=ja|publisher=[[東京大学]]|author=[[大西克也]]|date=2016}}</ref>。同書は現代日本語訳も刊行されている<ref name=":1">{{Cite book|和書|title=戦国縦横家書 馬王堆出土文献訳注叢書|date=|year=2015|publisher=[[東方書店]]|author=大西克也、大櫛敦弘|isbn=978-4497215130}}</ref>。
 
==代表的人物==