「李克用」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 声望を得る ===
李克用の本姓は突厥風の朱邪であり、父の{{仮リンク|李国昌|zh|李国昌|en|Li Guochang|label=朱邪赤心}}は[[朔州]][[刺史]]を勤め、[[龐勛の乱]]鎮定にて{{仮リンク|[[ホウクン|zh|龐勛|en|Pang Xun|label=龐勛}}]](ほうくん)を討ち取るなどの功績を挙げ、唐の国姓を賜り、李国昌と名乗るようになった。後に孫の李存勗により、文帝の[[諡]]と献祖の[[廟号]]が贈られた。
 
李克用は李国昌の第3子であり、母は秦氏である。李克用は生来から片目がすがめで、そのために[[独眼竜|独眼龍]]と呼ばれていた。[[878年]]に李克用は父と共に唐軍の将の段文楚を殺害したため、唐に対して反乱を起こしたが、敗れて[[韃靼]]族の部落に逃亡した{{Sfn|駒田|常石|1997|p=244}}。唐は韃靼に対して賄賂を送って李克用らを捕らえるように命じたが{{Sfn|駒田|常石|1997|p=244}}、李克用は韃靼の有力豪族を集めるとその目の前で木の葉や糸に吊るした針等を矢で射て百発百中の腕前を見せつけて韃靼を全て心服させた{{Sfn|駒田|常石|1997|p=245}}。
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