「通過儀礼」の版間の差分

[[日本]]の[[中世]]・[[近世]]における[[武家]][[階級]]では[[元服]]というものがあり、[[服装]]、[[髪型]]や[[名前]]を変える、[[男子]]は腹掛けに代えて[[ふんどし]]を締める([[褌祝]])、[[女子]]は成人仕様の[[着物]]を着て[[厚化粧]]する、といったしきたりもあった。[[地域]]・[[社会]]によっては男子の場合、[[米俵]]1[[俵 (単位)|俵]](60[[キロ]][[グラム]]から80キログラム)を持ち上げることができたら一人前とか、地域の[[祭礼]]で行われる力試しや度胸試しを克服して一人前、日の出から日の入りまでに1[[反]](およそ100平方メートル)の[[田植え]]ができたら一人前などという、年齢とは別の成人として認められる基準が存在した例もある。<!--地域によっては[[禊]]を済ませて初めて一人前と認められる、という所もあるらしい。-->女子の場合には[[子供]]、さらに言うならば家の[[家長|跡継ぎとなる男子]]を出産して、ようやく初めて一人前の女性として周囲に認めてもらえる場合もあった。
 
江戸時代、会津や米沢の子は14 - 15歳になると[[飯豊山]]を登山し、標高1882メートル地点にある「御秘所(おひそ)」と呼ばれる難所(つるつるの岩場。手掛かりの鎖が付いたのは20世紀になってから)を越えられたら一人前の男として認められた<ref>[[西村まさゆき]] 『ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる』 [[中公新書]] 2018年 ISBN 978-4-12-102487-9 p.76.</ref>([[飯豊山神社]]も参照)。
 
男子の場合、[[明治時代|明治]]の[[徴兵令]]施行から[[太平洋戦争]]が終結した[[1945年]]までは、「[[国民皆兵]]」の体制が取られ、[[徴兵検査]]がその通過儀礼となった。徴兵検査で一級である甲種合格となることは「一人前の男」の公な証左であり憧れの対象でもあった<ref>田村譲 '[http://web.archive.org/web/*/http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tyoheisei.html 日本の徴兵制]' [[松山大学]]法学部ウェブ([[インターネットアーカイブ]])</ref>。徴兵検査により健康状態や徴兵上の立場が明らかにされることは、当事者の社会的・精神的立場にも影響を与えた。現役兵役に適さないとされる丙種合格であった[[山田風太郎]]は、自らを「列外の者」と生涯意識する要因になったと述べている<ref>'[http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2007/146.html NHKアーカイブス あの人に会いたい No.146 山田風太郎]' [[日本放送協会]], 2007年8月5日</ref>。[[1938年]]には[[結核]]による丙種合格判定も要因の1つとなって日本犯罪史に残る[[大量殺人]]事件・[[津山事件]]が起きている。しかしながら、身内レベルでは、入営を免れる丙種合格を望む風潮もあり、また「甲種合格と認められつつ籤逃れ(入営抽選漏れ)がよい」と望む考えも暗にあった<ref>大久保孝治 '[http://www.f.waseda.jp/ohkubo/2004S9-9.htm 社会学研究9「社会構造とライフコース」講義記録(9)]' [[早稲田大学]]文学学術院ウェブ</ref>。[[昭和時代]]での甲種合格率は3分の1前後、甲・乙に満たない丙種以下の割合は、時期により変動するが、15 - 40%程度であった<ref>[[副田義也]] '[http://kaken.nii.ac.jp/d/p/03301015.ja.html 戦後日本における社会保障制度の研究 厚生省史の研究]' [[筑波大学]]社会科学系, 1993年</ref><ref>中野育男 '[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/481/481-1.pdf 労働安全衛生と福祉国家]' 大原社会問題研究所雑誌 481号, [[法政大学]]大原社会問題研究所, 1998年12月</ref>。入営後は新兵教育という名目の[[いじめ]]やしごきという形で通過儀礼がおこなわれた(詳細は[[兵 (日本軍)]]を参照)。