「デロス同盟」の版間の差分

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対ペルシャの脅威に立ち向かうために一致団結が求められたことから、同盟からの脱退は基本的に無いとされた。しかし後には、離脱しようとする都市国家(ポリス)に壊滅的な打撃を与えることもあった。はやくから脱退を図った[[ナクソス島]]は武力で鎮圧され、[[タソス島]]の離脱もおさえられて制裁金が科された。こうして次第に同盟はアテナイが他の諸ポリスを支配する機関へと変貌していった。こうした状況を指して、「アテナイ海上帝国」と形容する歴史家もいる。
 
こうした「アテナイ海上帝国」の台頭に強い対し、[[スパルタ]]をはじめとする[[ペロポネソス同盟]]側のポリスは懸念を抱いたスパルタは、。またアテナイはエーゲ海だけでなくペロポネソス半島専制的支配に対して離対側に位置する[[イオニア海]]にも勢力を伸ばすようになり、イオニア海を商業活動の主な舞台としてきた[[コントが現れる]]など、これを支援対立する姿勢をみせることもあようになった。
 
アテナイの専制的支配に対してデロス同盟から離反するポリスが現れるとペロポネソス同盟側がこれを支援したり、対立するポリスの一方が同盟に加わると他方は反対側の同盟に加わったりする動きもみられた。
経済的な[[シーレーン]]を[[エーゲ海]](古代ギリシア世界における[[地政学|ワールドシー]])に築き上げ、マーケットの成熟に伴い[[イオニア海]]にまで拡大した。エーゲ海の[[シーパワー|マージナル・シー]]に位置するポリスをもデロス同盟に糾合してエーゲ海の覇権を握ったアテナイは、その勢力をペロポネソス半島の反対側に位置するイオニア海にまで伸ばしたのだった。
 
[[紀元前431年]]には両者の対立は頂点に達し、ギリシアの諸ポリスによる深刻な内戦[[ペロポネソス戦争]]が勃発。[[紀元前404年]]、アテナイの敗北が決まるとデロス同盟は解散した。
ところが、この行為によりコリントなどイオニア海でマーケットを展開し棲み分けていたポリスとの対立を生む。同時に、スパルタなどペロポネソス同盟傘下にある陸軍国家([[ランドパワー]])からすれば、[[ペロポネソス半島]](と、その上にある[[バルカン半島]]の下部)を包囲するような形でデロス同盟傘下のポリスが増えるように映る。陸軍国家にとっては[[リムランド]]をもデロス同盟に取り込まれるに等しい(リムランドとマージナルシーはしばしば重なることが多い)。このデロス同盟による経済圏の拡大が経済的にも、軍事的にも緊張を生んでゆく。中立を保つポリスも敵対するポリスが一方に加盟すれば、もう一方は対立する同盟に加盟するなど、傘下のポリスたちの対立が次第に表面化していった。次第に加盟している小さいポリスの利権対立に、アテナイとスパルタは振り回されてゆくことになる。この[[冷戦]]さながらの[[代理戦争]]の様相を呈すようになってゆき、一気に爆発したのが[[ペロポネソス戦争]]であった。
 
[[紀元前431年]]には両者の対立は頂点に達し、ギリシアの諸ポリスによる深刻な内戦[[ペロポネソス戦争]]が勃発。[[紀元前404年]]、アテナイの敗北が決まるとデロス同盟は解散した。
 
== 変遷 ==