「ジョン・アレン・K・ジーグラス」の版間の差分

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→‎来歴: 細かい記述を、1960-1961年の読売新聞を基に追加しました。あとで、同紙を正式に「出典」とする形に体裁を整えたいと思います(その作業が技術的に苦手なのですが…)
m (→‎来歴: 細かい記述を、1960-1961年の読売新聞を基に追加しました。あとで、同紙を正式に「出典」とする形に体裁を整えたいと思います(その作業が技術的に苦手なのですが…))
[[東京地方検察庁]]は「国籍不明」として起訴し、[[国選弁護人]]も、被告がどこの誰だかわからないまま弁護に当たった。
 
1960年8月10日、午前10時過ぎ東京地裁刑事28号法廷で判決公判が開かれた。
1960年8月10日、懲役1年の判決が下った判決公判の日に、法廷で隠し持っていたガラスの破片で両腕の血管を切り自殺未遂をする。全治10日の軽傷で済んだ。そのような事態になると判決が無効となり、裁判はやり直しになると誤解した節があるという。
 
1960その結果、検察の求刑である懲役18610日、に対して「懲役1年の判決が下った判決公判の日に、法廷で隠し持っていたガラスの破片で両腕の血管を切り自殺未遂をする。全治10日の軽傷で済んだ。そのような事態になると判決が無効となり、裁判はやり直しになると誤解した節があるという
 
読売新聞はこの事件を「密入国の”ミステリー・マン” 判決直後自殺図る 架空の国籍、14か国語ペラペラ」と報じた。
 
 
そのような事態になると判決が無効となり、裁判はやり直しになると誤解した節があるという。
 
服役中、当時の[[原文兵衛]][[警視総監]]を相手に、横領罪による処罰と100万ドルの損害賠償を求めた民事提訴を行う。
 
懲役1年のジーグラスが出所したとき「国外退去処分」とされたが。どこに送還すべきかは分からず結局、日本に入国した時の最終寄港地だった香港に送還された。
 
内妻は、韓国に送還。
 
その後どうなっているかは、回想した佐々淳行も「知らない」としている。