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'''中里 恒子'''(なかざと つねこ、[[1909年]][[12月23日]] - [[1987年]][[4月5日]])は、[[日本]]の[[小説家]]。本名恒。[[神奈川県]]生まれ。[[神奈川県立横浜平沼高等学校|神奈川高等女学校]]卒。[[国際結婚]]をテーマにした『乗合馬車』『日光室』で女性初の[[芥川龍之介|芥川賞]]受賞。人生の機敏を典雅な文体で描いた。戦後は『歌枕』『時雨の記』など老境を描いた作品を多く発表した。戦後の[[女流文学]]を代表する作家の一人である。[[芸術院]]会員。
 
== 略歴 ==
[[神奈川県]][[藤沢市]]生れ。横浜紅蘭女学校(現・[[横浜雙葉学園]])を経て、川崎実科高等女学校(現・[[川崎市立川崎高等学校]])卒業。1928年結婚して佐藤姓となり主婦作家としてデビュー。1937-1938年に『[[少女の友]]』に連載した[[川端康成]]『[[乙女の港]]』の下書きを書いた<ref>川端康成『乙女の港』p322、実業之日本社文庫、2012年</ref>。1939年「乗合馬車」で[[芥川龍之介賞|芥川賞]]受賞(女性で初)。受賞作は、兄たちの国際結婚を描いたもの。
 
出産の後[[結核]]で療養、離婚を経て、娘が[[アメリカ合衆国|米国人]]と結婚することになり、かつて国際結婚を冷静な目で見ていた中里自身が大きな動揺に襲われるという経験をした。
 
1974年、老境を描いた『歌枕』で[[読売文学賞]]、1975年『わが庵』で[[日本芸術院]][[恩賜賞 (日本芸術院)|恩賜賞]]<ref>『朝日新聞』1975年4月8日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、18頁。</ref>、1979年『誰袖草』で[[女流文学賞]]受賞。『[[時雨の記]]』は中年の恋を描いたものとして話題になり、歿後映画化されて再度読まれた。