「筑波藤麿」の版間の差分

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皇族の息子はすべて軍人になるのが慣習だったが、藤麿は身体虚弱ゆえに皇族として初めて[[兵役]]を免除され、[[東京大学|東京帝国大学]]国史学科で[[黒板勝美]]に師事。大学を卒業<ref>{{Cite|和書|title=[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448364/271 東京帝国大学一覧 従大正15年至昭和2年]|page=530|publisher=東京帝国大学|year=1927}}</ref>した後歴史研究を志し、東京代々木の自邸に筑波歴史研究室を作り、その年々の国史関係の文献目録を集めた『国史学界』を発行した<ref>{{cite journal|title= 歴史手帖 筑波藤麿氏を憶う |author= 坂本太郎 |page= 50-51 |journal= 日本歴史 |others= 日本歴史学会; 霞ヶ關書房; 日本歴史社; 日本歴史学会 [編] |url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7910419 |publisher= 吉川弘文館 |date= 1978年8月}}</ref>。
 
大学卒業後まもなく、[[1928年]](昭和3年)[[7月20日]]願により[[臣籍降下]]が認められ<ref name=koshaku>{{cite journal|和書|title= 授爵・敍任及辭令 / - / - / 筑波藤麿等(宮内省) |page= 525 |url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956931|accessdate= 2018-05-31 |journal= 官報 |number= 470 |date= 1928年07月21日 |publisher= 大蔵省印刷局}}<blockquote>◎昭和三年七月二十三日 / 授侯爵 勲一等 筑波藤麿、授伯爵 同 鹿島萩麿 </blockquote></ref>、筑波の家名を賜り<ref>{{cite journal|和書|author= 一木喜徳郎 |title= 告示 / 宮内省 / 第14号 / |url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956931 |accessdate= 2018-05-31 |page= 523 |journal= 官報 |number= 470 |date= 1928年07月21日 |publisher= 大蔵省印刷局}}<blockquote>本日勲一等藤麿王殿下並勲一等萩麿王殿下ノ情(ママ)願ヲ允サレ藤麿王殿下ニハ筑波ノ家名ヲ賜ヒ萩麿王殿下ニハ鹿島ノ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セラル</blockquote></ref><ref>筑波常治『破約の時代』p.15に「華族として、あたらしく苗字をきめなければならぬ。何という姓がいいだろう? 依頼によって、東大文学部の教授が、あれこれ知恵をしぼったが、名案がうかばない。そのとき、父が思いついたのが『筑波』である。筑波山は、父が実家の庭から、朝夕はるかに眺めて親しんできた山だった。しかも、父の父親が、その頂上に気象観測所をたてたといういわれがある」とある。</ref>侯爵に叙せられる。1928年10月、4歳下の毛利喜代子(子爵[[毛利高範]]五女)と結婚。臣籍降下以後は侯爵議員として[[1947年]](昭和22年)まで貴族院議員を務める。
 
戦時中の食糧難の時代、華族の多くが闇市の食料や農家直買いで法外な値段で仕入れた食生活を送っていたのに対し、藤麿は潔癖すぎるほど国策に協力し、決して闇買いをせず、近郊農家への買出しにも行かず、配給と自宅の畑の野菜だけで切り詰めた食事を続けていた。そのことについて、長男の筑波常治は「同輩がすべて軍人になった中で、たった一人だけ違う道をすすんだかれの、コンプレックスのあらわれだった」<ref>筑波常治『破約の時代』p.73(講談社、1959年)</ref>と述べている。
 
戦時中の食糧難の時代、華族の多くが[[闇市]]の食料や農家直買いで法外な値段で仕入れた食生活を送っていたのに対し、藤麿は潔癖すぎるほど国策に協力し、決して闇買いをせず、近郊農家への買出しにも行かず、配給と自宅の畑の野菜だけで切り詰めた食事を続けていた。そのことについて、長男の筑波常治は「同輩がすべて軍人になった中で、たった一人だけ違う道をすすんだかれの、コンプレックスのあらわれだった」<ref>筑波常治『破約の時代』p.73(講談社、1959年)</ref>と述べている。
 
=== 戦後 ===
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* 母:前妻:[[菊麿王妃範子|範子]]、実母:[[菊麿王妃常子|常子]]
* 兄弟:(異母)[[山階宮武彦王|武彦王]] - [[山階芳麿|芳麿]] - [[浅野安子|安子]] - (同母)'''藤麿''' - [[鹿島萩麿|萩麿]] - [[葛城茂麿|茂麿]]
* 妻:毛利喜代子(1909 - 1946)
* 後妻:肥田貞子
* 子:[[筑波常治|常治]] - 登喜枝([[松浦陞]]の子・擇の妻) - [[筑波常遍|常遍]](常秀)- [[筑波和俊|和俊]]
 
== 栄典・顕彰 ==