「浦和競馬場」の版間の差分

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調教などを行う厩舎は[[1969年]]まで浦和競馬場とその周辺にあったが、周辺が宅地化し、臭気などの苦情から1974年に[[浦和市]][[上野田 (さいたま市)|上野田]](現:[[緑区_(さいたま市)|緑区]]上野田)の野田[[トレーニングセンター]]({{ウィキ座標|35|54|41.9|N|139|41|44.9|E|region:JP|地図|name=野田トレーニングセンター}})に集約移転された。
 
このトレーニングセンターは、[[1967年]]の[[第22回国民体育大会|埼玉国体(清新国体)]]の[[馬術]]競技のため「野田馬術競技場」として造成され、[[国民体育大会]]終了後は浦和競馬のトレーニングセンターとして使用することを想定して、2倍以上に敷地が拡張整備された。当初はその後に競馬場自体も騒音問題から厩舎と共に移転し、跡地に[[埼玉県営大宮公園野球場|県営球場]]などの移転先とする構想もあったが、実現には至らなかった。なお、トレーニングセンターが先に移転し、後から競馬場自体も移転することになった事例には[[名古屋競馬場]]がある([[1977年]]厩舎移転、[[20162022年]]競馬場移転発表予定)。競馬場周辺のかつての厩舎跡地は住宅地や競馬場の駐車場などに転用されている。競走馬は[[馬運車]]で浦和競馬場まで運ばれる。
 
コースは厩舎棟区画の北側にあり、1周1050メートル。土地形状の都合から極めてコーナーのきついコースで、コーナーでは馬を全力で走らせることが難しく、このことが浦和所属馬の強化の妨げになっていると言われる。また移転後の[[1980年]]、近隣に[[東北自動車道]]が開通し、渋滞発生が多発する[[浦和本線料金所]]からも近くなったことで、センター周辺の大気条件が設置当初と比較して悪化し、競走馬への影響を心配する声もある。