「大将軍 (京都市)」の版間の差分

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=== 平安京から衣笠村まで ===
大将軍地区は花園遺跡や北野遺跡・北野廃寺などの古代遺跡に近く、[[飛鳥時代]]以降の集落の存在が知られている。[[平安時代]]には[[平安京]]の[[右京]]の北辺に位置し、大将軍坂田町・同東鷹司町からは当時の遺跡が発掘されており、[[寝殿造]]の原型と考えられる建物の遺構が発掘確認されている<ref name="リレー学区紹介"/><ref>[https://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2013-14.pdf 京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告2013-14「平安京右京北辺三坊六町跡」]</ref><ref>[https://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2019-01.pdf 京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告2019-01「平安京右京一条二坊十六町跡」]</ref>が、平安時代後期の右京の荒廃にともなってこの地も次第に農村化していった。[[豊臣秀吉]]が[[御土居]]を構築した際には、この地は御土居の外側として市街地からは除外され、[[近世]]([[江戸時代]])には[[山城国]][[葛野郡]]大将軍村となった<ref name="リレー学区紹介"/>。[[明治時代|明治期]]に入って[[1899年]]に[[町村制]]が施行されると、大将軍村は(葛野郡)[[衣笠 (京都市)#歴史|衣笠村]]として統合され、大字「大将軍」となった<ref name="リレー学区紹介"/>。
 
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