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[[Image:NanbanCarrack.jpg|thumb|240px|17世紀の長崎のポルトガルの[[キャラック船]]。『[[南蛮屏風]]』([[狩野内膳]]筆)]]
'''日本の貿易史'''(にほんのぼうえきし)では、[[日本]]の対外[[貿易]]に関する[[歴史]]を説明する。歴史的に[[蝦夷地]]や[[琉球]]等と呼ばれてきた地域の貿易についても記述する。
{{Main2|世界各地の貿易の歴史については、[[|貿易史]]を参照。}}
 
== 概要 ==
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1950年代から外国からの技術導入が進み、特に[[1957年]]から[[1972年]]まで機械工業や化学工業を中心に急増した。技術導入は政府の産業育成策として進められ、[[外為法]]による外貨集中と外貨予算・外貨割当制が活用された{{efn|外貨割当制によって重要な技術や機械の輸入で外貨を優先的に使い、一方で競合製品の輸入を制限して産業の保護と育成をした。}}。外為法による競合製品の輸入制限は、[[保護関税]]よりも有効であり、国産化を短期間で確立する役割を果たした。この外貨予算制度は日本がIMFの8条国に移行する[[1964年]]まで続いた{{efn|IMFの14条国は国際収支の赤字を理由に為替制限ができるが、8条国はそれができない。}}{{Sfn|井村|2000|p=163}}。技術貿易における輸出額と輸入額の収支比率は、1970年度は0.14であり、1975年度には0.23、1985年度は0.30、1995年度は0.65と増加して2002年度には1.01で技術輸出額が上回った{{Sfn|宮本ほか|2007|p=358}}。
 
物流においては、[[海上コンテナ]]の導入が大きな影響を与えた。[[1961年]](昭和36年)に[[国際標準化機構]](ISO)によってコンテナの国際規格が決定し、日本でもコンテナの利用による[[インターモーダル輸送]]が普及する。日本とアメリカ西海岸の間の[[コンテナ船]]は積載率が高く、[[ベトナム戦争]]によって後押しされた。{{仮リンク|シーランド社|en|SeaLand}}のコンテナ船はベトナム戦争の物資を輸送してから日本に寄港し、日本からの輸出製品をアメリカへと運んだ{{Sfn|橋本|2013|p=223}}。
 
=== 高度成長期と貿易 ===