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== 関与者 ==
年齢は全て当時 直接の容疑は川南らは殺人予備、川下は[[銃刀法]]違反<ref name=ndl1214 />
* [[川南豊作]] (59) - 首謀者 元[[川南工業]]代表<ref name=ndl1214 />
* [[桜井徳太郎 (陸軍軍人)|桜井徳太郎]] (64) - 元[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[少将]]<ref name=ndl1214 />。処分保留で釈放<ref name=fukuya/>
* [[三上卓]] (56) - 元[[大日本帝国海軍|海軍]][[中尉]]。[[五・一五事件]]に関与<ref name=ndl1214 />。処分保留で釈放<ref name=fukuya/>
* [[小池一臣]] (34) - [[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]第60期出身<ref name=ndl1214/>、日本史を学ぶ陸士出身者の集まりである[[国史会]]」主宰者<ref name=ndl1214 />
* [[篠田英悟]] (38) - [[日本学生改新会]]会長<ref name=ndl1214 />、元菊旗同志会中央委員<ref name=ndl1214 />。第二次大戦中は海軍航空隊に所属、戦後、川南の片腕としい川南工業の組合対策を任され、本事件では池口恵観らをオルグするなど、実行部隊のリーダー役を務めた<ref>『「右翼」の戦後史』 安田浩一 講談社, 2018, p142</ref>。1961年に川南とともに逮捕。
* [[川下佳節]] (25) - [[新日本学生連盟]]([[新日本協議会]]下部組織)幹部。日本学生改新会副会長。三無塾塾長<ref name=ndl1214 />、のち[[市川市]]議会議長。[[2006年]]12月死去。義兄に市川市長の富川進<ref name=fukuya>[http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014712 三無事件序説]福家 崇洋、社会科学 = The social sciences 46(3), 1-26, 2016-11 同志社大学人文科学研究所
</ref>。
* [[池口恵観]] (25) - 事件当時・鮫島正純(事件後母方の姓に改姓)。現在は鹿児島県の[[最福寺 (鹿児島市)|最福寺]]住職。
* [[古賀良洋]] (25) - [[高野山大学]]での池口の後輩。本事件では篠田の運転手を務めた。のちに[[飯塚市]]の観音寺の住職となり、戦時中に地元の炭鉱で働き命を落とした[[朝鮮人]]労働者の供養に尽力した<ref>『「右翼」の戦後史』 p150</ref>。
* 安木茂(36) - 国史会メンバー。陸士第54期生出身。[[主婦の友社]]社員。<ref name=fukuya/>
* 前田準(35) - 国史会メンバー。陸士第60期生出身。戦後日本共産党の地方組織の内偵をしていたが、スパイが発覚して上京し、時計屋勤務を経て南米開発株式会社で働いていた。<ref name=fukuya/>
* 浦上芳彦(34) - 国史会メンバー。陸士出身。<ref name=fukuya/>
* 時津鶴雄(48) - 川南工業社員。<ref name=fukuya/>
* 老野生義明(25) - [[中央大学]]学生(1956年入学)。新日本学生連盟教育宣伝部長。日本学生改新会企画総務局長。三無塾局長。大学卒業後、関東光学工業(理研光学工業株式会社代理店)勤務。<ref name=fukuya/>
* 野村繁造(35) - 処分保留で釈放<ref name=fukuya/>
* 李樹森(45) - 処分保留で釈放<ref name=fukuya/>
 
首謀者・主犯格者は揃って[[九州]]の出身とりわけ北部の者が多かった。{{要出典範囲|date=2016年2月|このことは[[護国団 (日本)|護国団]]で独自の[[クーデター]]論を展開した[[小島玄之]]の論評などにおいて注目に値する点として捉えられた}}。