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6月13日、軍令部は「当面ノ作戦指導方針」を作成し、その中には「9月中旬頃F作戦を実施す 本作戦実施の為速に「ツラギ」方面陸上基地を整備し(8月上旬迄に整備可能の見込)次で「ニューヘブライズ」方面の陸上基地を攻略し航空兵力を進出せしむ」とある<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 13頁</ref>。16日、この方針案に基づき戦艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」において打ち合わせが行われた。18日、軍令部から陸軍に「F作戦は二ヶ月遅れて九月初め開始して実施する」と伝えられた<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 14頁</ref>。22日、次期作戦の再検討を行った連合艦隊の作戦参謀[[三和義勇]]大佐と政務参謀[[藤井茂]]中佐が軍令部に出頭して打ち合わせを行い、作戦指導方針を説明した。F作戦に関しては「NKは基地航空部隊を使用し確実にとれる F・Sはとる確実なる目算なし 従ってF・Sは取止めのことに考慮あり度(本件長官の意向)」とある<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 16頁</ref>。これは従来から大きな方針転換であり、これまでの5月18日の大本営指示による作戦方針では敵航空兵力を撃滅する主兵は機動部隊であったが、ミッドウェー海戦の戦訓から機動部隊をもって陸上航空基地へ攻撃するのは危険と認め、FS作戦は基地航空部隊の傘の下に作戦を進めようとした<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 16-17頁</ref>。この方法ではフィジー及びサモア諸島の攻略は困難であり、連合艦隊は取りやめを要望したが、軍令部は同意せず、両者とも再検討するとしてその打ち合わせを終えた<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 17頁</ref>。
 
7月1日、連合艦隊はFS作戦の取りやめを可とする意見に達した。以前から懸念していた航空機の生産状況が遂に消耗が補給量を上回り、これが所望高まで引き上げない限り実施するべきではないという結論に至ったからだった<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 18頁</ref>。7月5日、連合艦隊は軍令部に中止したい旨を伝え、6日に軍令部も中止に決して7日に三和参謀に正式に通告し、陸軍にも主として航空の関係から実施できない旨を伝えて了承を得た<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 18-19頁</ref>。11日、軍令部総長は中止を上奏<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 23頁</ref>。同日、大海令二十号を発令。「大海令第十八号に基く連合艦隊司令長官の「ミッドウェイ」島攻略及大海令第十九号に基く連合艦隊司令長官の「ニューカレドニア」「フィジー」諸島並に「サモア」諸島方面要地攻略の任務を解く」と発し、同作戦の中止が指示された<ref>戦史叢書77 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで 26頁</ref>。しかしポートモレスビーの攻略は将来FS作戦を実施するため、また南東方面航空戦激化の現状を改善するため、実施する必要があり、検討が続けられた<ref>戦史叢書49 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで 349頁</ref>。
 
== 脚注 ==