「アメリカン航空191便墜落事故」の版間の差分

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→‎事故の余波: 前後が逆接でないので「が」を削除しました。記述内容と出典は、これで正しいでしょうか。
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実際に出典を確認しているわけでもないのに文章を無理にいじるのは止めてください。別に既存の文章が極度にわかりづらいわけでもないのに、自分の好みを押し付けるのは止めてください。そこまでして文章をいじりたいなら、それら出典を自分で確認して、自分の改定後文章が出典内容と整合取れているか確認してから変更してください。Kazov (会話) による ID:81475645 の版を取り消し
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事故発生から2日後の5月27日に、事故調査に当たっていたNTSBのエルウッド・ドライバー副委員長は「エンジンを翼に固定していたボルトが折れてエンジンが脱落したのが原因と見られる」と発表し、自ら折れたボルトを持って報道陣に公開した<ref name=asahi-19790528-9/><ref>{{cite journal |last1= |first1= |last2= |first2= |journal=JET |volume=56 |issue=13 |page=5 |title=Tuskegee Airman Heads Chicago Air Crash Probe |date=June 14, 1979 |url=https://books.google.com/books?id=BMADAAAAMBAJ&pg=PA5&lpg=PA5&dq=elwood+driver+DC-10&source=bl&ots=02rclAmVmO&sig=_XCZgXL_D8E3YUKW1DKs0QwOzXk&hl=en&ei=JiUiTNflJ5T0nQfJgYnNCw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CBkQ6AEwAQ |accessdate=April 16, 2011 }}</ref>。当初は、このボルトが事故原因と疑われた<ref name=asahi-19790528-9/>{{sfn|North|1979|p=46–48}}。FAAは、5月29日以降のDC-10型機の運航を停止し、問題のボルトを点検するよう指示した<ref name=asahi-19790529-1/>{{sfn|North|1979|p=46–48}}。また、アメリカ以外の航空会社にも同様の措置をとるよう勧告した<ref name=asahi-19790529-1/>。
 
前述のとおり、事故調査によって、このボルトは直接的な事故原因ではないことが明らかになった{{sfn|NTSB|1979|p=69}}。一方で、FAAが指示した点検によって、複数のDC-10型機からパイロン構造部の損傷が発見された<ref name=asahi-19790530-1/><ref name=asahi-19790530-11/>{{sfn|North|1979|p=47}}{{sfn|福島|1981|p=10}}。構造の欠陥による金属疲労が疑われたので、FAAは新たな飛行停止措置を取った<ref name=asahi-19790530-1/><ref name=asahi-19790530-11/>点検・修理を終えた機体から飛行を再開した<ref name=asahi-19790531-15/>。このが、点検によって、191便同様の亀裂が他の機体でも発見された<ref name=asahi-19790531-15/>。さらには、[[ユナイテッド航空]]のDC-10型機からは製造工程に起因する亀裂も見つかり、製造会社の品質管理が問われた{{sfn|北野原|1980|pp=45–46}}{{sfn|福島|1981|p=10}}。同様の点検を実施したボーイング747やロッキードL-1011と比べて異常が多かったので、設計不良も疑われた<ref name=asahi-19790531-15/><ref name=asahi-19790602-22/>。1979年6月6日、FAAはDC-10型機の[[型式証明]]の効力を緊急停止する命令を発行した{{sfn|岩瀬|2009|p=15}}<ref name=asahi-19790607-1/>。マクドネル・ダグラス社はこの措置に異議を唱えたが、当時のFAA長官ラングホーン・ボンドは、安全を優先すると述べた{{sfn|North|1979|p=47}}<ref name=asahi-19790617-3/>。型式証明の停止措置は相互協定を結んでいた各国へも波及し、日本ではDC-10型機を運航していた[[日本航空]]に対して[[運輸省]](当時)が運航停止を指示した{{sfn|North|1979|p=47}}<ref name=asahi-19790607-1/>。
 
本事故より前にDC-10型機では、貨物扉の破損に起因した大きな事故が2件起きていた{{sfn|"Pylon inspections follow DC-10 crash"|p=1972}}。1972年の[[アメリカン航空96便貨物ドア破損事故]]と、1974年の[[トルコ航空DC-10パリ墜落事故]]である{{sfn|"Pylon inspections follow DC-10 crash"|p=1972}}。これらの事故では、マクドネル・ダグラス社の設計不良が非難された(ただし、191便の事故前には貨物扉の問題への改修対応がされていた)<ref name="DC-10 retirement"/>。本事故によって、改めてDC-10型機の安全性に対して世間から厳しい目が向けられた<ref name="DC-10 retirement"/>。アメリカで乗用車「[[シボレー・コルヴェア]]」の安全性問題など消費者運動に取り組んでいた[[ラルフ・ネーダー]]は、DC-10型機を「翼を持ったシボレー・コルヴェア」と批判した<ref name=chicago-tribune-20040525/>。アメリカン航空は、事故時までDC-10型機に施していた "DC-10 LuxuryLiner" のロゴ塗装を、"American Airlines LuxuryLiner" に変更した<ref name="DC-10 retirement"/>。また、FAAの指導監督が不十分であったとの批判も上がった{{sfn|福島|1981|p=10}}。