「縁故主義」の版間の差分

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;カトリック聖職者によるイエスの戒めに反する行い
だが、中世ヨーロッパではカトリック聖職者は様々な特権を持つようになっていて、特に[[司教]]や[[修道院長]]、[[枢機卿]]といった上級の聖職者は、世俗諸侯と変わらない権力を持つまでになってしまった。そのような状態になったところ、親族の子供(甥)に様々な便宜を与えたり、実質的な後継者とする事が行われるようになってしまったので、これを(批判も込めて)「nepotismo ネポティズモ」と呼ぶことが始まった(イタリア語の「nepote」「nipote」は「甥」「姪」「孫」といった意味の語で<ref>イタリア語「nepote」「nipote」の語源は ラテン語「nepos」。</ref>、 つまり、あえて訳せば「甥っ子主義」や「姪っ子主義」といったような表現である)。
 
また、ローマ教皇に就任した際には、自身の支持基盤強化を兼ねて甥や縁故者を枢機卿に取り立てる例がしばしば見られた。この時おじによって枢機卿に任命された人物の中には、自らが教皇となった例もある([[ピウス2世]]と[[ピウス3世]]、[[シクストゥス4世]]と[[ユリウス2世]]など)。
 
さらには、公的には結婚・妻帯が禁じられていたカトリックの聖職者が、密かに儲けてしまった[[庶子]]を「甥」と偽ることまでもあった。[[ルネサンス]]期になると、そうした規則違反が半ば公然と行われるようになってしまった。