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記述の追記(節「公案の構成」)。
記述、出典の追記(概要部、節「公案を用いた禅道修行と看話禅」「公案の構成」)。
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 例: 両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんだろう。(隻手の声)
 
公案を通じて、禅の修行者に「東洋的無」を体験させようとしたのは、[[宋]]代の[[五祖法演]]禅師からで、このころに[[公案禅]]([[看話禅]])が確立しており、公案は「五祖下の暗号密令」と言われることもある{{sfn|秋月|2002|p=34}}。
禅道修行を志し、各地にある[[専門道場]]と呼ばれる養成[[寺院]]に[[入門]]した[[雲水]]は、公案を与えられ、これに取り組むことになる。数年間の修行中は[[僧堂]]で[[坐禅]]をしたり、寺の業務に従事しながら毎日、多い時には日に数度も、[[老師]]のもとに呼び出され、[[回答]]を求められる。思考の限りを尽くしてもそのたび老師に追い返され、なおも回答の提出を求められて懊悩する日々の生活は、きわめて厳しい。その過程を禅修行とする禅風を[[看話禅]]と呼び、[[臨済宗]]、[[黄檗宗]]、韓国の[[曹渓宗]]が[[看話禅]]に属する。近世には一定の数の公案を解かないと[[住職]]になれない等、[[法臘]](年数)の他に[[僧侶]]としての修業度を表す基準ともなった。
 
なお、「公案」の語は、転じて[[芸道]]の[[思案]]・工夫の意味にも用いられ、[[世阿弥]]は[[能楽]]論書中に好んで使用している{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
 
== 公案を用いた禅道修行と看話禅 ==
禅道修行を志した[[雲水]]は、一般に[[参禅]]のしきたりを踏んだうえで一人の師につき{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}、各地にある[[専門道場]]と呼ばれる養成[[寺院]]に[[入門]]し、与えられた公案に取り組むことになる。公案は、[[師家]]([[老師]])から雲水が悟りの境地へと進んで行くために手助けとして課す問題であり、悟りの境地に達していない人には容易に理解し難い難問だが、屁理屈や[[詭弁]]が述べられているわけではなく、[[頓知]]や[[謎かけ]]とも異なる{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}。
 
禅道修行を志し、各地にある[[専門道場]]と呼ばれる養成[[寺院]]に[[入門]]した[[雲水]]は、公案を与えられ、これに取り組むことになる。数年間の修行中は[[僧堂]]で[[坐禅]]をしたり、寺の業務に従事しながら毎日、多い時には日に数度も、[[老師]]のもとに呼び出され、[[回答]]を求められる。思考の限りを尽くしてもそのたび老師に追い返され、なおも回答の提出を求められて懊悩する日々の生活は、きわめて厳しい。その過程を禅修行とする禅風を[[看話禅]]と呼び、[[臨済宗]]、[[黄檗宗]]、韓国の[[曹渓宗]]が[[看話禅]]に属する。近世には一定の数の公案を解かないと[[住職]]になれない等、[[法臘]](年数)の他に[[僧侶]]としての修業度を表す基準ともなった
 
公案をひとつひとつ解いて悟りへと至る禅{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}を[[看話禅]]と呼び、[[臨済宗]]、[[黄檗宗]]、韓国の[[曹渓宗]]が[[看話禅]]に属する。これに対し、公案を用いずにひたすら坐禅をして([[只管打坐]])悟りを開いていく禅を[[黙照禅]]といい、黙照禅は[[曹洞宗]]の特徴となっている{{sfn|星野・安永|2009|p=198}}。
 
近世には一定の数の公案を解かないと[[住職]]になれない等、[[法臘]](年数)の他に[[僧侶]]としての修業度を表す基準ともなった。
 
== 公案の構成 ==
[[禅]]の問答は、時と所を異にして[[第三者]]のコメントがつくのが常で、始めに何も答えられなかった僧に代る'''{{ruby|代語|だいご}}'''や、答えても不十分なものには別の立場から答えて見せる'''{{ruby|別語|べつご}}'''など、第2次第3次の問答を生み出し、最初の問答を'''{{ruby|本則|ほんそく}}'''または'''{{ruby|古則|こそく}}'''、'''{{ruby|話頭|わとう}}'''、'''{{ruby|話則|わそく}}'''などとして[[参禅]]工夫する、[[公案禅]]または[[看話禅]]の時代となる{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
 
[[宋]]代は、一般[[士大夫]]の間にそうした看話禅への関心が高まって、古則を集めた'''{{ruby|挙古|きょこ}}'''、韻文の頌をつける'''{{ruby|頌古|じゅこ}}'''、散文のコメントを集めた'''{{ruby|拈古|ねんこ}}'''など、数々の公案集が存在した{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。『[[碧巌録]]』([[宋]]代の[[禅僧]]の{{ruby|[[圜悟克勤]]|えんごこくごん}}が{{ruby|[[雪竇重顕]]|せっちょうじゅうけん}}の頌古百則を講じたもの)や、『[[無門関]]』([[南宋]]の[[無門慧開]]が五十則の公案に[[評唱]]および[[頌]]をつけたもの)が代表的である{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=247}}。
 
== 主な公案集 ==
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== 参考文献 ==
*{{Cite book |和書 |author=[[中村元]]他 |year=1989 |title=岩波仏教辞典 |publisher=岩波書店 |isbn=4-00-080072-8 |ref={{SfnRef|岩波仏教辞典|1989}} }}
*{{Cite book|和書|author = 星野和子(著)、安永祖堂(監修)|year = 2009|title = 一からはじめる禅|publisher = ダイヤモンド社|isbn = 978-4-478-91027-6|ref = {{SfnRef|星野・安永|2009}} }}
*{{Cite book|和書|author = [[秋月龍珉]]|year = 2002|title = 無門関を読む|publisher = 講談社学術文庫|ref = {{SfnRef|秋月|2002}} }}
 
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