「ラ・パイヴァ」の版間の差分

ヘルツ→エルツ
(ヘルツ→エルツ)
[[1836年]][[8月11日]]、17歳で彼女は仕立て屋のアントン・ヴィロンと結婚した。彼らは息子を一人もうけたが、エスターは結婚生活を捨てて[[パリ]]のサン・ポール寺院にほど近い[[スラム街]]に移住し、名をテレーズと変えて裕福な求婚者を見つけようとした(以下、テレーズと記述)。
 
彼女はピアニストの[[アンリ・エルツ]]と出会って[[愛人]]になり、芸術的ではあるが貴族的ではない階級に加わった。彼らは[[ロンドン]]で結婚したと言われているが、事実はつまびらかではない。いずれにせよ、[[重婚]]だった。テレーズとルツの間には娘が一人生まれた。彼女の[[サロン]]には[[リヒャルト・ワーグナー]]、[[ハンス・フォン・ビューロー]]、[[テオフィル・ゴーティエ]]、[[エミール・ド・ジラルダン]]らが出入りした。
 
テレーズの浪費でルツの家計は危うく破綻するところだった。そこでルツは商機を得るために[[1848年]][[アメリカ合衆国|アメリカ]]に渡った。夫が家を離れている間も彼女の浪費は続き、失望したルツ一家は彼女を追い出した。テレーズはホテル・ヴァリンに居を構えた。彼女の友人エステル・ギモンは彼女に沢山の衣装を携えてロンドンへ行き成功の道を探ることを勧め、彼女をカミーユ帽子店へ連れていった。[[コヴェント・ガーデン]]でテレーズはスタンリー卿の好意を射止めた。
 
テレーズはパリへ戻った後[[バーデン]]の[[湯治場]]に赴き、そこで[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の侯爵、アルビーノ・フランチェスコ・デ・パイヴァ=アラウージョに出会った。最初の夫は既に[[結核]]で亡くなっていたため自由の身となっていた彼女は[[1851年]][[6月5日]]に侯爵と結婚し、財産と称号、そしてラ・パイヴァというあだ名を手に入れた。