「尻の美しいウェヌス」の版間の差分

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修復された頭部は、肩ごしにふり返らされて、彫像の裸の尻にさらなる注意をひきつけ、その人気の一因となった<ref name=Fenton16>Fenton, p. 16.</ref>。
17世紀と18世紀に彫像はウェヌスと確認され、[[アテナイオス]]によってその『[[食卓の賢人たち]]』において議論された[[シラクーザ]]のアプロディーテー・カッリピュゴス(Aphrodite Kallipygos)の[[神殿]]と関連させられた。
この彫像はいくたびもコピーされ、その中には{{仮リンク|ジャン=ジャック・クレリオン(Jean|en|Jean-Jacques Clérion)Clérion}}{{仮リンク|フランソワ・バロワ(François|en|François Barois)Barois}}によるものも含まれている。
 
== 歴史 ==
 
== 近代のコピー<!--Modern copies --> ==
{{仮リンク|ジャン=ジャック・クレリオン(Jean|en|Jean-Jacques Clérion)Clérion}}作による大理石のコピー(1686年)は[[ヴェルサイユ]]に送られた。
別のコピーは[[フランソワ・バロワ]]によって、彼の[[ローマ・フランス・アカデミー]]の滞在期間中に作られた。
コピーは[[ヴェルサイユ宮殿]]に、さらに1695年に[[マルリー=ル=ロワ]]に送られ、そこでジャン・ティエリ(Jean Thierry)による追加の大理石の衣紋を与えられたが、それはお上品ぶった公衆の趣味を怒らせないためである。
その後、革命までマルリーにとどまり、革命の際に[[テュイルリー庭園]]に紛れ込んだ<ref>Its place in the Tuileries Gardens is currently taken by a cast (shown [http://www.insecula.com/oeuvre/O0007430.html here] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20060427073454/http://www.insecula.com/oeuvre/O0007430.html |date=2006年4月27日 }}), the original being conserved indoors in the [[Musée du Louvre]].</ref>。
 
[[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]はコピーを注文し、1722年から1723年まで{{仮リンク|ピエール・ド・レスタッシュ(Pierre|en|Pierre de l’Estache)l'Estache}}によって[[ドレスデン]]の{{仮リンク|グローセル・ガルテン|ende|Großer Garten (Dresden)}}のために製作された。
しかしながら、それは1945年に破壊された(Desmas 2002年)<ref>[http://www.lestache.com/catalogo/03-04.htm Accounts]</ref>。
 
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