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楽団指揮者ヨハン・ロイジンガー(Johann Loisinger)とその妻マリア・マイアー(Maria Mayr)の間の娘として生まれ、[[ソプラノ]]歌手としての訓練を受けた後、[[プラハ]]、[[オパヴァ|トロッパウ]]、[[リンツ]]の劇場や、[[ダルムシュタット]]の宮廷劇場で歌手として活動した。現役歌手時代は[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]・オペラの名手の一人として知られた。
 
1889年2月6日に[[マントン]]において、1886年に退位した元ブルガリア公アレクサンダルと結婚した。結婚後、2人はハルテナウ伯爵夫妻と名乗り、公の生活から身を引いた。アレクサンダルは[[オーストリア=ハンガリー帝国]]軍の士官となり、夫妻は間に2人の子供をもうけ、一家は[[グラーツ]]に住んだ。ヨハンナは1893年に夫と死別すると、子供たちを連れてウィーンに移った。母子はブルガリア政府から年額5万[[レフ (通貨)|レフ]]の年金を支給されていた<ref>Richard von Mach: ''Aus bewegter Balkanzeit 1879–1918.'' Mittler, Berlin 1928, S.&nbsp;52.</ref> 。
 
ロイジンガーはウィーンの音楽業界の発展に尽力し、[[ザルツブルク]]の[[ザルツブルク・モーツァルテウム大学|モーツァルテウム]]を高等専門教育機関として整備する事業にも参加した。またウィーン・モーツァルト協会、ウィーン・コンサート協会、[[ウィーン交響楽団]]の理事長を務めた。