「中国の筆跡一覧」の版間の差分

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| 164年 || [[#封龍山頌|封龍山頌]] || 不明 || 八分 ||
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| 165年 || [[#西嶽華山廟碑|西嶽華山廟碑]] || [[蔡邕]]? || 八分 || [[台東区立書道博物館]]ほか
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| 169年 || [[#史晨前碑|史晨前碑]] || 不明 || 八分 ||
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: 『封龍山碑』ともいう。[[封龍山]]は、[[河北省]]元氏県の6つの神山(三公山・霊山・封龍山・無極山・白石山・御語山)の1つで、それぞれの山には、その山神の頌徳碑が建てられ、[[祀三公山碑]]・三公山碑・無極山碑・白石神君碑・封龍山頌の5つは、元氏の五碑として古来有名である。ただし、無極山碑のみ今日伝存していない。<br>この碑は碑額がなく、第1行に標題として「元氏封龍山之頌」の7字があり、16行・各行26字が刻されている。碑文には、祭祀が[[新]]の[[王莽]]の時代に廃れ、延熹7年(164年)に古祀を修復し祭祀を復活させて神徳を頌したことが記されている。
* <span id="西嶽華山廟碑">西嶽華山廟碑(せいがくかざんびょうひ)</span>
: 『華山廟碑』ともいう。もと[[陝西省]][[華陰市|華陰県]]の西嶽山廟にあったものを、弘農郡の郡守である[[袁逢]]が旧碑に基づいて建てたものである。原碑はすでに失われて、[[拓本]]だけによって知られている。拓本の中でも最も著名なものは、「長垣本」・「関中本」・「四明本」の3種である。「長垣本」は、[[河南省]]長垣の[[王文蓀]]が所蔵していたが、欠損した文字は僅かに10字で、最もよく保存されている。[[昭和]]4年(1929年)8月、[[中村不折]]の所有となり、現在[[台東区立書道博物館]]に保存されている。「関中本」は、陝西省関中の東雲駒・雲雛兄弟の所有していたものである。「四明本」は、[[浙江省]]四明の[[豊熙]]が所蔵していたもので、両本とも100字余りの欠字がある。古来、[[蔡邕]]の書とか、[[郭香察]]の書とか言われているが、確証はない。漢隷として代表的なものの1つである。
* <span id="史晨前碑">史晨前碑(ししんぜんぴ)</span>
: 全名は『魯相史晨祀孔子奏銘』(ろそうししんしこうしそうめい)という。2碑からなり、『史晨後碑』と合わせて『史晨碑』または『史晨前後碑』という。[[霊帝 (漢)|霊帝]]の時、魯国の相である[[史晨]]が孔子廟の祭典を盛んに行ったことを表彰したもので、山東省曲阜の孔子廟前に建てられている。碑文は、17行・各行36字で、字の大きさは3cm、謹厳端正な隷書である。
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| 235年(魏) || 廬江太守范式碑 || 不明 || 八分 ||
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| 240年 - 249年(魏) || [[三体石経]] || [[邯鄲淳]]<ref name="suzukihiro11">鈴木洋保 P.11</ref> || 古文、小篆、八分 || 洛陽博物館、[[台東区立書道博物館]]ほか
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| 272年(呉) || [[谷朗碑]] || 不明 || 隷楷中間 ||
466行目:
| 不詳 || [[王献之#廿九日帖|廿九日帖]] || 王献之 || 行書 ||
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| 不詳 || [[王献之#地黄湯帖|地黄湯帖]] || 王献之 || 行書 || [[台東区立書道博物館]]
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| 不詳 || [[王献之#洛神賦十三行|洛神賦十三行]] || 王献之 || 小楷 ||
679行目:
| 764年 || [[顔真卿#争座位帖|争座位帖]] || 顔真卿 || 行書 || 西安碑林
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| 780年 || 自書告身(じしょこくしん) || 顔真卿 || 楷書 || [[台東区立書道博物館]]
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| 780年 || [[顔真卿#顔氏家廟碑|顔氏家廟碑]] || 顔真卿 || 楷書 || 西安碑林
727行目:
! width="15%" | 年代 !! width="30%" | 筆跡名 !! width="10%" | 筆者 !! width="10%" | 書体 !! 所蔵・法帖など
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| 1052年 || 謝賜御書詩表(しゃしぎょしょしひょう) || [[蔡襄]] || 楷書 || [[台東区立書道博物館]]
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| 1063年 || 澄心堂紙帖(ちょうしんどうしじょう) || 蔡襄 || 楷行書 || 台北・国立故宮博物院