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岐山は[[周]]王朝の発祥の地でもある。[[古公亶父|周太王]](周王朝初代の[[武王 (周)|武王]]の曾祖父)が岐山のふもとに遷ってから周の[[平王 (周)|平王]]が東の洛邑へ遷るまでの400年間近くの間、岐山は西周の中心地であった。周公廟や'''[[周原]]'''遺跡、鳳雛遺跡があり、周朝の文物が数多く出土するが、特に[[青銅器]]が知られている。
[[487年]]([[北魏]]の[[太和 (北魏)|太和]]11年)に'''[[岐州]]'''(州治は現在の[[鳳翔
[[569年]]([[北周]]の[[天和 (北周)|天和]]4年)、[[涇州]]の鶉觚県の南部を分割して'''三竜県'''が設置される。県治は岐陽鎮(現在の岐陽村)に置かれていた。[[596年]]([[隋]]の[[開皇]]16年)に'''岐山県'''と改称され、県治はそれまでの県治の西方(現在の鳳鳴鎮)に移転された。[[唐]]代の天文学者[[李淳風]]も岐山の人である。
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