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(三国志と三国志演義での描写の違いを記述) |
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[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[武将]]である[[馬謖]]が、街亭の戦いで[[諸葛亮]]の指示に背いて独断で布陣し敗戦を招いた責任で処刑された。愛弟子であった馬謖の処刑に際し諸葛亮は涙を流したという。他の武将達の中には「馬謖ほどの有能な将を」と処刑を慰留する者もいたが、諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と処刑に踏み切った。
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この故事に関する記述は、『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』と『[[三国志演義]]』の間で少し異なっている。
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