「ルイベ」の版間の差分
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== 語 ==
{{節スタブ|date=2020年4月14日|title=注釈ではなく本文で詳説するべき重要事項です。松浦武四郎の体験記については閲覧者に暗号解読を強いる不案内な出典でしたので内容ともども大幅に改訂させていただきました。}}
[[日本語]]「ルイベ」の[[語源]]については、[[アイヌ語]]起源説{{Refnest|group="注"|アイヌ語の "ru-ipe(ルイペ/ルイベ)"[ ain: ru-ipe(融ける魚 < 融ける食べ物)< ru<!--※Wiktionaryに項目あるも該当する語義は掲載なし。-->(融ける)+ [[wikt:ipe|ipe]](魚 < 食べ物)]に由来{{Sfn|更科源蔵・更科光|1976|pp=447-448}}。}}{{Refnest|group="注"|{{Harvnb|知里|2000|p=61}} より引用。<br />「イペ」(ipe)は本来は「食べ物」を意味していましたが、後に「魚」の意味になっているのです。同様な言葉に「チェプ」(chep)があります。これも「魚」を意味することばですが、本来は chi-e-p 、〔我らが・食う・物〕のことで、「食べ物」を意味する言葉です。それが魚を意味する言葉にもなっています。}}{{Refnest|group="注"|[[探検家]]・[[松浦武四郎]]が[[安政]]5年([[1858年]])に[[石狩川]]上流から[[十勝川]]流域を調査した際の、[[石狩川]]上流の[[コタン]]でルイベを振舞われた時の体験記。『十勝日誌』([[万延]]元年/[[1860年]]の序跋あり)所収。{{Quotation|《[[原文]]》 ※書体は[[旧字体]]から[[新字体]]へ修正済み。[[約物]]は現代の補足。[ ]角括弧内は執筆者自身による語意の補説。〈 〉山括弧内はウィキペディア編集者による補説。<br />三月朔日和暖雪大融す。上川村々の人家を廻る。所々にてルイベと云て鮭の生を雪に漬置しを切てルサ[茅盆〈草の茎を編んだ盆〉]に盛りマキリ[小刀]と柳の枝一本に塩を一撮添て出す。<ref>{{Cite web |author=[[松浦武四郎]] |date=1860 |title=十勝日誌 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534535/9 |publisher=[[国立国会図書館]] |website=国立国会図書館デジタルコレクション(公式ウェブサイト)|accessdate=2020-04-14 }}</ref>}}<br />『蝦夷風俗彙纂』([[1882年]]/明治15年刊)に所収の一項「ルイベの事」における、松浦武四郎の体験記の引用。{{Quotation|《原文》 ※書体は旧字体から新字体へ修正済み。約物は現代語的修正済み。[ ]角括弧内も引用者によるℍ原文の写し。〈 〉山括弧内はウィキペディア編集者による補説。<br />十勝上川村々の人家を廻る。所々にてルイベと云て、鮭の生残雪に漬置しを切てルサ[茅盆〈草の茎を編んだ盆〉]に盛る。マキリ[小刀]と柳の枝一本に塩を一撮添て出す。<ref>{{Cite web |title=蝦夷風俗彙纂. 前編 巻8 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767849/64?tocOpened=1 |publisher=[[国立国会図書館]] |website=国立国会図書館デジタルコレクション(公式ウェブサイト)|accessdate=2020-04-14 }}</ref>}} }}が定説もしくは有力説と言えるが、ごく一部には[[ロシア語]]起源説を唱える研究家もいる
{{Also|ら行#アイヌ由来語 (北海道)}}
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