「金子重之輔」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
32行目:
 
[[日米和親条約]]が締結されると松陰と共に[[下田市|下田]]へ赴いて米艦に乗り込もうとするがアメリカ側に拒否されたためにやむなく計画を中止、自首した。[[伝馬町牢屋敷]]に収容後、国許に蟄居の判決を受け、幕吏によって[[萩市|萩]]へ檻送され安政2年(1855年)、[[士分]]以下の者が入る[[岩倉獄]]で病没した。享年25(満23歳没)。
 
明治44年(1911年)、[[正五位]]を追贈された<ref>田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.28</ref>。
 
金子重之輔の像は、吉田松陰誕生地にある松陰の銅像のそばで松陰を見上げる姿で残っている。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
==登場する主な作品==
44 ⟶ 49行目:
[[Category:獄死した人物]]
[[Category:日本の神 (人物神 松門神社)]]
[[Category:正五位受位者]]
[[Category:1831年生]]
[[Category:1855年没]]