「薬師丸ひろ子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 文言修正 選ばれ→優勝、合格→優勝
タグ: 2017年版ソースエディター
→‎概要: タイプミスを修正
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
55行目:
 
== 概要 ==
中学1年生の時、[[角川映画]]第3弾『[[野性の証明#映画|野性の証明]]』の長井頼子役オーディションで優勝、[[高倉健]]との共演で1978年に映画デビュー。1980年に[[相米慎二]]の監督作品『[[翔んだカップル#映画版|翔んだカップル]]』に初主演する。翌1981年に再び相米監督作品に主演した『[[セーラー服と機関銃 (映画)|セーラー服と機関銃]]』がヒットする{{refnest|group=注|1982年度邦画[[配給収入]]1位<ref>{{映連配給収入|1982}}</ref>。}}。薬師丸のデビュー曲でもある[[主題歌]]「[[セーラー服と機関銃 (曲)|セーラー服と機関銃]]」もヒットした。その後、主演映画『[[探偵物語 (1983年の映画)|探偵物語]]』・『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』・『[[メイン・テーマ]]』・『[[Wの悲劇 (映画)|Wの悲劇]]』<ref group="注">[[ゴールデングロス賞]]のマネーメイキングスター賞受賞2回。角川時代の主演映画『ねらわれた学園』から『Wの悲劇』までの[[配給収入]]合計は約120.7億円。</ref> と薬師丸が歌う主題歌「[[探偵物語/すこしだけやさしく|探偵物語]]」・「[[メイン・テーマ (薬師丸ひろ子の曲)|メイン・テーマ]]」・「[[Woman "Wの悲劇"より]]」のヒットが連続する{{refnest|group=注|「セーラー服と機関銃」・「探偵物語」・「Woman "Wの悲劇"より」はオリコン週間1位、「メイン・テーマ」はオリコン週間2位<ref name="oricon1988">{{Cite book |和書 |title=オリコン チャート・ブック 昭和43年-昭和62年( 20年)アーティスト編 全シングル作品 |date=1988-09 |publisher=オリコン |isbn=4-87131-021-3 |page=340-341}}</ref>。}}。1984年に公開された[[澤井信一郎]]の監督作品『Wの悲劇』では演技も評価され、[[ブルーリボン賞 (映画)#第27回(1984年度)|第27回ブルーリボン賞]]主演女優賞を受賞した<ref>{{Cite web2 |url=http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1984/ |title=20歳の主演女優・薬師丸ひろ子 振袖姿で授賞式に 第27回(1985年2月13日)@イイノホール(東京・内幸町) |accessdate=2009-02-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090207075710/http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1984/ |archivedate=2009-02-07 |url-status=dead }}</ref>。
 
1985年に[[角川春樹事務所 (1976年 - 1993年)|角川春樹事務所]]から独立する。その後も映画女優として『[[野蛮人のように]]』・『[[紳士同盟 (1986年の映画)|紳士同盟]]』・『[[ダウンタウン・ヒーローズ#映画|ダウンタウン・ヒーローズ]]』・『[[病院へ行こう#病院へ行こう|病院へ行こう]]』・『[[タスマニア物語]]』などに出演する。歌手としては、民営化直後の[[NTT]]の[[CM曲]]「[[あなたを・もっと・知りたくて]]」や映画主題歌「[[紳士同盟 (薬師丸ひろ子の曲)|紳士同盟]]」などの[[シングル]]曲だけでなく{{Refnest|group=注|どちらもオリコン週間2位<ref name="oricon1988" />。}}、[[オリジナル・アルバム]]を製作し、コンサートを開くなど本格的な歌手活動をする。しかし、1991年に[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]のリーダーの歌手[[玉置浩二]]と結婚し、歌手活動や映画の世界から遠ざかる。その後、1998年に玉置と離婚を発表。1997年に18年ぶりのドラマ『[[ミセスシンデレラ]]』に主演してからは、テレビドラマの世界にも活躍の場を広げる。