「アドルフ・ヒトラーの死」の版間の差分

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数分待って、ヒトラーの世話係であった[[総統警護隊|総統護衛部隊]]の[[ハインツ・リンゲ]]SS中佐が、ボルマンの立ち合いのもと居間のドアを開けた{{sfn|Linge|2009|p=199}}。すぐに焦げたアーモンドの匂いに気付いたと、リンゲはのちに証言している。これは青酸([[シアン化水素]]水溶液)の一般的な特徴として知られている{{sfn|Linge|2009|p=199}}。ヒトラーの副官の[[オットー・ギュンシェ]]SS少佐が居間に入り、ソファに腰かけた2人の死体を確認した。エーファの死体はヒトラーの左手にあり、膝を胸に抱え込んだ姿勢で、彼から遠ざかるように倒れていた。ヒトラーの死体の状態についてギュンシェは「ぐったりと座っており、右のこめかみからは血が滴っていた。彼は[[ワルサーPPK|ワルサーPPK7.65]]で自らを撃ったのだ」と述べた{{sfn|Linge|2009|p=199}}{{sfn|Fischer|2008|p=47}}{{sfn|Joachimsthaler|1999|pp=160–182}}。今日では、ヒトラーはまずシアン化物([[青酸カリ]])のカプセルを噛み砕き、すぐに右のこめかみをピストルで撃ったものと考えられている{{sfn|クノップ|2004|p=208}}。
 
自殺に使われたピストルはヒトラーの足元に落ちていた{{sfn|Linge|2009|p=199}}。彼の頭から滴った血が、居間の床に血だまりをつくっていた<ref>open2.net (BBC Open University), ''[http://www.open2.net/historyandthearts/history/lecture_transcript.html OU Lecture 2005: Transcript]'', retrieved 11 May 2009</ref><ref>Kinzer, Stephen, "[http://www.nytimes.com/1995/05/04/world/the-day-of-hitler-s-death-even-now-new-glimpses.html The Day of Hitler's Death: Even Now, New Glimpses]", ''New York Times'', 4 May 1995, retrieved 11 May 2009</ref>。総統護衛部隊員の[[ローフス・ミシュ]]SS曹長によれば、ヒトラーの頭部は前方のテーブルの上に横たわっていたという{{Sfn|Rosenberg|2009}}。リンゲの証言では、エーファの死体には外傷が見当たらず、その顔からはシアン化物を用いて服毒自殺したことが見て取れた{{efn|name=Linge 199}}。
 
ギュンシェが居間を出て、ヒトラーの死を地下壕に残る人々に発表した。その後すぐに、人々は煙草をふかし始めた(ヒトラーは生前[[ナチス・ドイツの反タバコ運動|喫煙を嫌悪]]し、許可しなかった<ref name="historyplace">historyplace.com, ''[http://www.historyplace.com/worldwar2/holocaust/h-death.htm The Death of Hitler]'', retrieved11 May 2009</ref><ref>Mount, Ferdinand, ''[http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/article823051.ece Review: History: Inside Hitler's Bunker by Joachim Fest]'', Sunday Times, 18 April 2004, retrieved 11 May 2009{{リンク切れ|date=2019-03-09}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://uktv.co.uk/yesterday/item/aid/528437 |title=The last days of Adolf Hitler | website=UKTV|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130518171042/http://uktv.co.uk/yesterday/item/aid/528437|archivedate=2013-05-18 |accessdate=2019-03-09}}</ref>)。ヒトラーの生前の指示に従い、2人の死体は地上階に運ばれ、地下壕の非常口を経て、[[総統官邸]]裏の中庭に開いた砲弾孔に降ろされたあと、燃やすためにガソリンを浴びせかけられた{{sfn|Kershaw|2008|pp=954, 956}}{{sfn|Linge|2009|pp=199, 200}}。ミッシュは、誰かが「早く上階へ急げ、彼らはボスを燃やしている」と叫んだのを聞いたと証言している{{sfn|Rosenberg|2009}}。何度かガソリンへの点火に失敗したあと、リンゲはいったん地下壕に戻り、厚く巻かれた紙を持って帰ってきた。その後、ボルマンが紙に火をつけ、それを死体の上に投げた。燃え上がったヒトラーとエーファの死体に向けて、地下壕出入り口のすぐ内側からボルマン、ギュンシェ、リンゲ、ゲッベルスのほか、ヒトラー専属運転手[[エーリヒ・ケンプカ]]SS中佐、[[RSD]]刑事部長[[ペーター・ヘーグル]]SS中佐、総統護衛部隊員の{{ill2|エヴァルト・リンドロフ|en|Ewald Lindloff}}SS大尉とハンス・ライザーSS中尉らが[[ナチス式敬礼]]で送った{{sfn|Linge|2009|p=200}}{{sfn|Joachimsthaler|1999|pp=197, 198}}。16時15分ごろ、リンゲはハインツ・クリューガーSS少尉とヴェルナー・シュヴィーデルSS曹長に、ヒトラーの居間の絨毯を巻き上げて燃やすよう命じた。シュヴィーデルは居間に入った瞬間、ソファのひじかけ付近に「大きな皿」ほどの大きさの血だまりがあるのが目に入ったとのちに語っている。シュヴィーデルは、空の[[薬莢]]がひとつ、絨毯の上にピストルから1ミリほど離れて落ちているのに気づき、かがんで薬莢を拾い上げた{{sfn|Joachimsthaler|1999|p=162}}。2人は血痕のついた絨毯を回収すると、総統官邸の中庭まで運び、その場で燃やした{{sfn|Joachimsthaler|1999|pp=162, 175}}。