「織田信包」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
8行目:
その後、[[近江国|近江]]に2万石を与えられた。改易にともなって、剃髪して老犬斎と号し、秀吉の側近として仕えたという。[[1598年]]、丹波柏原3万6千石を与えられる。
 
[[1600年]]、[[関ヶ原の戦い]]に際しては西軍に属したものの、[[徳川家康]]は信包に罪を問わず、改易しなかった。その後も信包は秀吉の嫡男・[[豊臣秀頼]]を補佐し、1614年7月17日、[[大坂の役|大坂冬の陣]]直前に大坂城内で吐血して急死。[[享年]]72。毒殺の噂が流れたが定かではない。
 
== 人物と系譜 ==