「マーガレット・サッチャー」の版間の差分

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|ウェブサイト = https://www.margaretthatcher.org/
|サイトタイトル = Margaret Thatcher Foundation
|国旗 = イギリス
|職名 = [[イギリス]]{{GBR}}<br/>第71代[[イギリスの首相|首相]]
|就任日 = [[1979年]][[5月4日]]
|退任日 = [[1990年]][[11月28日]]
|元首職 =[[イギリスの君主|女王]]
|元首 = [[エリザベス2世]]
|国旗2 = イギリス
|職名2 = イギリス{{GBR}}<br/>[[貴族院 (イギリス)|貴族院議員]]
|内閣 =
|選挙区2 =
|元首2 =
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|国旗3 = イギリスGBR
|職名3 = [[保守党 (イギリス)|保守党]]<br/>第13代[[保守党 (イギリス)|党首]]
|内閣3 =
|選挙区3 =
|元首職3 = 副党首
|元首3 = ウィリアム・ホワイトロー
|国旗4 = イギリス
|職名4 = イギリス{{GBR}}<br/>[[庶民院 (イギリス)|庶民院議員]]
|内閣4 =
|選挙区4 = フィンチリー選挙区
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}}
サッチャー女男爵'''マーガレット・ヒルダ・サッチャー'''({{lang-en-gb|'''Margaret Hilda Thatcher''', Baroness Thatcher,}} [[ガーター勲章|LG]], [[メリット勲章|OM]], [[枢密院 (イギリス)|PC]], [[王立協会|FRS]]、[[1925年]][[10月13日]] - [[2013年]][[4月8日]])は、[[イギリス]]の[[政治家]]、[[一代貴族]]。旧姓は'''ロバーツ'''(Roberts)。
 
[[保守党 (イギリス)|保守党]]初の女性党首(在任:1975年2月11日 - 1990年11月27日)、イギリス初の女性[[イギリスの首相|首相]](在任:1979年5月4日 - 1990年11月28日)。1992年6月30日からは[[貴族院 (イギリス)|貴族院議員]]を務めた。
 
[[保守]]的かつ強硬なその政治姿勢から「'''[[鉄の女]]'''(てつのおんな、{{lang-en-short|Iron Lady}})」の異名を取ったことで知られる<ref>{{Cite news
|title = イギリスのサッチャー元首相死去 英メディア伝える
|url = http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/t10013770101000.html
=== 生い立ち ===
[[File:Margaret Thatcher aos 13 anos de idade (2).jpg|thumb|220px|13歳の頃のサッチャー]]
1925年10月13日、イギリス・[[イングランド]]の[[リンカンシャー]]州[[グランサム]]で、食糧雑貨商の家に誕生する。父のアルフレッド・ロバーツは地元の名士であり、市長を務めた経験もあった。
 
サッチャーの生家は代々[[メソジスト]]の敬虔な信徒であり、生家の家訓であった「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神はサッチャーにも色濃く受け継がれた。父のアルフレッドを非常に尊敬し、サッチャーは「人間として必要なことは全て父から学んだ」と度々口にした。
[[1974年]]の選挙で保守党は敗北を喫し、翌[[1975年]]2月に保守党党首選挙が行われる。当初、サッチャーは党内[[右翼|右派]]の[[キース・ジョセフ]]を支持していたが、ジョセフは数々の舌禍を巻き起こして党内外から反発を受け、立候補を断念した。そのため、右派からはサッチャーが出馬する。
 
教育科学相の経験しかないサッチャーの党首選への出馬を不安視する声も多かったが、[[エドワード・ヒース]]を破り保守党党首に就任する。同年、イギリスを含む全35か国で調印採択された[[ヘルシンキ宣言_(全欧安全保障協力会議)|ヘルシンキ宣言]]を痛烈に批判した。
 
これに対し、[[ソビエト連邦]]の[[ソビエト連邦国防省|国防省]][[機関紙]]「[[クラスナヤ・ズヴェズダ (新聞)|クラスナヤ・ズヴェズダ]](「赤い星」、現在でも[[ロシア連邦]][[ロシア国防省|国防省]]機関紙として刊行)」は[[1976年]]1月24日号の記事の中で、頑固なサッチャーを「'''鉄の女'''」と呼び、非難した<ref>http://www.margaretthatcher.org/speeches/displaydocument.asp?docid=102939</ref>。この「[[鉄の女]]」の呼び名は、サッチャーの強硬な[[反共主義]]を揶揄するためのものだったが、サッチャー自身も気に入り、その後あらゆる[[報道機関|メディア]]で取り上げられたために、サッチャーの代名詞(愛称)として定着した。
{{サッチャリズム}}
{{Main|サッチャリズム}}
サッチャーは[[新自由主義]]に基づき、[[ブリティッシュ・テレコム|電話]]・[[ガス燃料|ガス]]・[[イギリス空港会社|空港]]・[[ブリティッシュ・エアウェイズ|航空]]・[[自動車]]・[[水道]]などの[[国有企業]]の民営化や[[規制緩和]]、[[金融]]システム改革を掲げ、それらを強いリーダーシップで断行した。さらに改革の障害になっていた[[労働組合]]の影響力を削ぎ、[[所得税]]<ref>25%~80%パーセントから80パーセントの11段階から、25%パーセントと40%パーセントの2段階へ。</ref>・[[法人税]]<ref>50%パーセントから35%パーセントへ。</ref>の大幅な税率の引き下げを実施した。一方、[[消費税|付加価値税]](消費税)は[[1979年]]に従来の8パーセントから15パーセントに引き上げられた。
 
* 1979年8月27日に[[ルイス・マウントバッテン]]が暗殺されてから数か月後、[[イングランド銀行]]は[[公定歩合]]を17パーセントへ引き上げた<ref>公定歩合は厳密には市場原理で決定されるため、17パーセントという数値は[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]に向けて外資が積極的に受け入れられた結果とも考えられる。</ref>。公約であったインフレの抑制には成功した。しかし、首相就任からくイギリスの失業者数は倍増し、[[1982年]]には300万人を上回る。サッチャー政権において、イギリスの[[失業率]]は[[世界恐慌]]以降最悪の数字を記録した<ref>O.J. Blanchard and L.H. Summers, NBER Macroeconomics Annual Vol. 1 (1986) </ref>。失業率はその後も[[1986年]]半ばまで減少せず(1986年以降は1990年まで減少)、これによりサッチャーの支持率は低下した。そのため小さな政府の柱のひとつであった完全[[マネタリスト|マネタリズム]]を放棄し、[[リフレーション]]政策に転じた結果、[[イギリスの経済|イギリス経済]]は回復した。[[ミルトン・フリードマン]]ら[[新自由主義]]を唱える経済学者はサッチャーの変節を非難したものの、総じてイギリス国民からはこの転換が受け入れられ、支持率も回復の兆しを見せた。
* [[1988年]]、教育法を改定した。[[イギリスの教育|イギリスの教育機関]]は独自性が強く、カリキュラムも学校別の独自性が強いものだった。サッチャーは、使用されていた[[教科書]]の1つ「[[人種差別]]はどのようにイギリスにやってきたのか」(イギリスの人種差別や、[[イギリス帝国|植民地支配の歴史]]を批判的に扱う内容)が[[自虐史観|自虐]]的な内容であるとして使用を止めさせようとしたが、政府に教科書の使用を制限する法的権限が存在しなかった{{要出典|date=2015年6月}}。そのためサッチャーは教育界の反対を押し切り、「(1)全国共通の[[カリキュラム]]を作り、非[[キリスト教徒]]に対しても[[キリスト教]]の授業を必修とするなど『自虐的』内容の是正」「(2)全国共通学力テストの実施」「(3)学校当局に、地方教育委員会からの離脱を認め、その場合は政府直轄とする(政府とともに、親の発言力を強める)」という内容の法改正案を成立させ、大胆な[[教育改革#イギリス|教育改革]]も実行した{{要出典|date=2015年6月}}。
 
| title = [[庶民院 (イギリス)|庶民院議員]]<br>{{仮リンク|フィンチリー選挙区|en|Finchley_(UK_Parliament_constituency)}}選出
| years = 1959年10月8日 - 1992年6月30日
| before = [[アルフレッド・クラウダー]]
| after = [[ハートリー・ブース]]
}}
{{s-ppo}}
{{Succession box
| title = [[保守党 (イギリス)|保守党]]党首
| years = 第13代:1975年2月11日 - 1990年11月27日
| before = [[エドワード・ヒース]]
| after = [[ジョン・メージャー]]
}}
{{s-ach|aw}}
| before = [[ボブ・ホープ]]
| after = [[ビリー・グラハム]]
}}
{{s-ppo}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|UK}} [[保守党 (イギリス)|保守党]]党首
| years = 第13代:1975年2月11日 - 1990年11月27日
| before = [[エドワード・ヒース]]
| after = [[ジョン・メージャー]]
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{{end box}}