「ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ」の版間の差分

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| 埋葬日 =
| 埋葬地 = {{ESP1506}}、[[エル・エスコリアル修道院]]
| 配偶者1 = [[マリア・テレサ・デ・バリャブリガ]]
| 子女 = ルイス・マリア<br>[[マリア・テレサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガ|マリア・テレサ]]<br>マリア・ルイサ
| 家名 = [[スペイン・ブルボン家]]
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[[1759年]]、異母兄[[フェルナンド6世 (スペイン王)|フェルナンド6世]]が嫡子のないまま死ぬと、ルイスは[[還俗]]して王位に就くことを夢見た。彼は、同母兄[[カルロス3世 (スペイン王)|カルロ]]が当時[[ナポリ王国|ナポリ]]と[[シチリア王国|シチリア]]の王位に、[[フィリッポ・ディ・ボルボーネ|フィリッポ]]が[[パルマ公国|パルマ]]公位に就いていたことから、スペインにいる王位継承者は自分だけだと主張したのである。このため、カルロス3世として即位した兄に疎まれた。カルロスは空位となったナポリとシチリアの王位を、自分の次男[[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルナンド]]へ与えた。ルイスは兄によってマドリードの宮廷から遠く離され、国内で流刑同然の状態に置かれた。
 
[[1776年]]頃、[[アラゴン州|アラゴン]]貴族の女性[[マリア・テレサ・デ・バリャブリガ]]と[[貴賤結婚]]し、3子をもうけた(他に1子を死産)。
* ルイス・マリア(1777年 - 1823年) - [[トレド]]大司教、[[セビリア]]大司教、第14代チンチョン伯
* [[マリア・テレサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガ|マリア・テレサ]](1779/1780年 - 1828年) - 第15代チンチョン女伯、スペイン宰相[[マヌエル・デ・ゴドイ]]と結婚