「メキシコ」の版間の差分

m
なくても意味が分かる部分はメキシコという単語は極力省略
m (なくても意味が分かる部分はメキシコという単語は極力省略)
| 注記 =
}}
'''メキシコ合衆国'''(メキシコがっしゅうこく、{{Lang-es|'''Estados Unidos Mexicanos'''}})、通称'''メキシコ'''は、[[北アメリカ]]南部に位置する[[連邦]][[共和制]][[国家]]。北に[[アメリカ合衆国]]と南東に[[グアテマラ]]、[[ベリーズ]]と国境を接し、西は[[太平洋]]、東は[[メキシコ湾]]と[[カリブ海]]に面する。首都は[[メキシコシティ]]。メキシコの総人口は約1億3,000万人(2016年時点)で、[[スペイン語]]圏においてはもっとも人口の多い国である。GDPは中南米2位{{efn|中南米GDP1位はポルトガル語圏のブラジル}}。
 
== 国名 ==
日本語訳は'''メキシコ合衆国'''で、通称は'''メキシコ'''である。[[当て字]]は日本語・[[中国語]]ともに'''墨西哥'''で、'''墨'''と略される。「[[合衆国]]」という表記の由来や意味については、同項目を参照のこと。
 
国名のメキシコは独立戦争の最中の[[1821年]]に決定したものであり、[[アステカ]]の一言語である[[ナワトル語]]で「メシトリの地」を意味する「{{lang|nah|Mēxihco}}({{IPA-nah|meːˈʃiʔko||Mexijko.ogg}})」に由来する。メシトリ(メヒクトリとも)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神である[[ウィツィロポチトリ]]の別名で、「神に選ばれし者」の意味がある。アステカでもっとも信仰されたこの神の名に、場所を表す[[接尾辞]]「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。
 
なお「'''合衆国'''」という政体を示す名称について、同じものを名乗る隣国のアメリカ合衆国が経済と軍事の世界的影響力が強大のほか「合衆国(United States)」だけでも世界中がアメリカ合衆国を指すため、自国がアメリカ合衆国の弟分のように見られてしまうとの不満が国民の一部には存在し、共和制である事から国名を「'''メキシコ共和国'''」に変更する動きがある。この意識は、19世紀末の[[米墨戦争]]の敗戦直後から特に見られるようになり、長年議論が繰り返されているが、変更には至っていない<ref>{{Cite news
[[ファイル:Cortez & La Malinche.jpg|thumb|220px|left|[[モクテスマ2世]](中央)と[[エルナン・コルテス]](右)の会見の様子。コルテスの隣の女性は通訳の[[マリンチェ]]]]
 
[[1492年]]の[[クリストファー・コロンブス]]の[[アメリカ大陸]]到達後、[[16世紀]]初頭の[[1519年]]にスペイン人[[エルナン・コルテス]]がメキシコに上陸した。コルテスら[[コンキスタドール|征服者]]達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して執拗な大虐殺を繰り返し行った末に、テノチティトランを破壊し、[[1521年]]に皇帝[[クアウテモック]]を惨殺してアステカ帝国を滅ぼした。そののちスペイン人たちは、この地に[[ヌエバ・エスパーニャ副王領|ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領]]を創設。[[ペルー副王領]]と並ぶインディアス植民地の中心として、破壊されたテノチティトランの上に[[メキシコシティ]]が築かれた。
 
=== メキシコ独立革命 ===
スペインによる支配は300年続いたが、[[18世紀]]を迎えると[[アメリカ独立戦争]]や[[フランス革命]]、[[ナポレオン戦争]]に影響され、土着の[[クリオーリョ]]たちの間に独立の気運が高まった。
 
1808年、[[ナポレオン・ボナパルト]]が兄の[[ジョゼフ・ボナパルト|ジョゼフ]]を[[スペイン王]]ホセ1世として即位させた。それに反発するスペイン民衆の蜂起を契機として[[半島戦争|スペイン独立戦争]]が始まると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否。1809年から1810年にかけて、[[キト]]、[[ラパス]]、[[サンティアゴ (チリ)|サンティアゴ]]、[[カラカス]]、[[ボゴタ]]、[[ブエノスアイレス]]とインディアス各地で[[クリオーリョ]]たちの蜂起が始まる中、メキシコでも [[1810年]][[9月15日]]に[[ミゲル・イダルゴ]]神父らにより、スペイン打倒を叫ぶ[[メキシコ独立革命]]が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。
 
メキシコのクリオーリョは[[ペルー]]のクリオーリョと同様に当国のクリオーリョも先住民大衆の反乱を恐れたため、独立運動には消極的であり、イダルゴも、反乱を継いだメスティーソの[[ホセ・マリア・モレーロス]]神父も[[アグスティン・デ・イトゥルビデ]]率いる王党派軍に敗れたが、モレーロスの乱が鎮圧されたあとの1820年ごろには南部の[[シモン・ボリーバル]]と[[ホセ・デ・サン=マルティン]]らに率いられた解放軍が各地を解放し、インディアスに残る植民地は島嶼部と[[ブラジル]]を除けば当国とペルー、中米、メキシコのみとなっていた。
 
スペイン本国で自由派が政権を握ると([[スペイン立憲革命|リエゴ革命]])、[[1821年]][[9月15日]]に保守派クリオーリョを代表した独立の指導者[[アグスティン・デ・イトゥルビデ]]がメキシコシティに入城し、反自由主義の立場から独立を宣言した。しかし、イトゥルビデがメキシコ王に推戴したかった反動派の元スペイン王[[フェルナンド7世]]はメキシコ入国を断ったため、イトゥルビデ自身が皇帝に即位する形で[[メキシコ第一帝政|第一次メキシコ帝国]]が建国され、[[中央アメリカ]]を併合した。
 
=== 相次ぐ対外戦争 ===
[[ファイル:Battle of Veracruz.jpg|thumb|220px|left|[[メキシコ・アメリカ戦争]]により、メキシコは国土の半分近い[[カリフォルニア]]をアメリカ合衆国に奪われた]]
{{main|テキサス独立戦争|米墨戦争}}
{{See also|近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立}}
{{See also|{{仮リンク|アメリカ合衆国のベラクルス占領 (1914年)|es|Ocupación estadounidense de Veracruz de 1914|en|United States occupation of Veracruz|label=アメリカ合衆国のベラクルス占領}}|{{仮リンク|パンチョ・ビリャ遠征|en|Pancho Villa Expedition}}}}
 
[[1907年恐慌]]の影響がメキシコに及び始め、労働争議が頻発する中で[[1910年]]の大統領選が行われ、ポルフィリオ・ディアスが対立候補[[フランシスコ・マデロ]]を逮捕監禁したことがきっかけとなり、[[メキシコ革命]]が始まった。[[パンチョ・ビリャ]]、[[エミリアーノ・サパタ]]、[[ベヌスティアーノ・カランサ]]、[[アルバロ・オブレゴン]]らの率いた革命軍は、路線の違いもありながらも最終的に政府軍を敗北させ、[[1917年]]に{{仮リンク|1917年メキシコ合衆国憲法|es|Constitución Política de los Estados Unidos Mexicanos de 1917|en|Constitution of Mexico|label=革命憲法}}が発布されたことで革命は終息した。革命は終わったものの、指導者間の路線の対立からしばらく政情不安定な状態が続いた。
 
{{Main|ツィンメルマン電報|第一次世界大戦|en:Battle of Ambos Nogales|バナナ戦争}}
=== 行政 ===
{{main|メキシコの行政機関}}
現在、メキシコ連邦政府には15の省が設けられ、各種行政を担っている。
 
== 治安 ==
特にアメリカとの北部国境地帯の治安悪化はマフィアなどの抗争も相まって顕著だが、首都として人の集まる[[メキシコシティ]]や、それ以外の地域においても失業者の増加と社会的・経済的不安定要因が治安情勢の一層の悪化を招いており、強盗、窃盗、誘拐、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している。
 
メキシコではカルテルの麻薬絡みの殺人、暴力事件が後を絶たない。麻薬組織の抗争などにより毎月約1,000人が死亡しており、2007年から2013年10月現在までに約8万人が命を落としているという。また警官や軍人、官僚、政治家がこれらの麻薬がらみの犯罪の当事者、肩代わり、後見人となっているケースが多く、大統領さえ例外ではない。
 
また、メキシコでは拳銃の携帯は国防省の許可が必要だが、実際は許可を得ずに拳銃を所持している国民が多く、同国の犯罪のほとんどには拳銃が使用されている<ref name="外務省">{{cite web | publisher = [[外務省]]| title = 安全対策基礎データ | url =http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure.asp?id=264|date = 2012-11-27 | accessdate = 2014-7-5}}</ref>。
 
== 軍事 ==
{{main|メキシコ軍}}
 
成人男子には1年間の選抜[[徴兵制]]が採用されている。現在、メキシコには大きな対外脅威はなく、おもな敵は国内の麻薬カルテル([[メキシコ麻薬戦争]])、次いで[[サパティスタ民族解放軍]]である。
 
== 国際関係 ==
=== 日本との関係 ===
{{main|日墨関係}}
[[江戸時代]]の初めの[[1609年]]([[慶長]]14年)、[[スペイン領フィリピンの総督|フィリピン総督]][[ドン・ロドリゴ]]の一行が[[マニラ]]からの帰途に、大暴風のため[[房総半島|房総]]の[[御宿町|御宿]]海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の[[大多喜藩]]主[[本多忠朝]]がこれら一行を歓待し、[[徳川家康]]が用意した[[ガレオン船|帆船]]でメキシコへ送還したことから、日本とメキシコとの交流が始まった。
 
[[1613年]](慶長18年)に[[仙台藩]]主[[伊達政宗]]の命を受けた[[支倉常長]]は、[[ローマ教皇]]に謁見すべくメキシコ、当国とスペインを経由し[[イタリア]]の[[ローマ]]に向かった。支倉常長ら[[慶長遣欧使節]]団の乗った[[サン・ファン・バウティスタ号]]は太平洋を横断しアカプルコへ、その後、陸路メキシコシティを経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や[[教会 (キリスト教)|教会]]の[[フレスコ]]画などに当時を偲ぶことができる。
 
また、日本が[[開国#日本の開国|開国]]して諸外国と通商条約を結んだ中で、[[1888年]]([[明治]]21年)メキシコと締結した[[日墨修好通商条約]]は日本にとって事実上初めての平等条約であり{{efn|これより早い1871年に締結された[[日清修好条規]]は平等条約ではあったが、その内容は両国がともに欧米から押し付けられていた不平等条約の内容を相互に認め合うという極めて特異な内容であった}}、諸外国の[[駐日大使館]]のうちでメキシコ[[大使館]]のみ[[東京都]][[千代田区]][[永田町]]にある。
 
[[19世紀]]末には[[榎本武揚|榎本]][[移民]]団によるメキシコへの移住が始まり、[[第二次世界大戦]]後まで続いた。移民者の数は総計1万人あまりに達し、その子孫が現在でも[[日系メキシコ人]]としてメキシコの各地に住んでいる。
 
==== 現在 ====
メキシコ市への進出は減っているが、日系企業が増えているのは[[アグアスカリエンテス]]を中心としたメキシコ中央高原都市である。日系の自動車3社([[日産自動車|日産]]第二工場、[[本田技研工業|本田]]、[[マツダ]])が進出を決めたほか、200社以上が自動車部品工場や大規模倉庫などを建設中である。日本からの投資の90パーセント近くがこの地域に集中しており、一大進出ラッシュとなっている。とりわけアグアスカリエンテスは、[[1982年]]から日産の工場が進出したこともあり、大規模な新工場ができつつある。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の平均よりも犯罪発生件数が少なく、真夜中にも多くの飲食店が開いており、日本人の家庭には人気の移動先になってきた。安い賃金や、未開発な部分の多い魅力的なフロンティアであること、複雑な外交関係にないことなども[[親日]]国であるメキシコ当国への日系企業進出の遠因になっている。とりわけメキシコは犯罪の多いところであるが、地方都市や州では独自の軍隊、警察組織を駆使しているところもあり、進出には州単位、町単位での安全チェックが必須となる。
 
====メキシコと 日産自動車の関係 ====
特に、日本企業としては最初期の[[1966年]]7月にメキシコ現地工場での自動車生産を開始した[[日産自動車]]は、同国日系自動車生産工場としても初でメキシコいうこともあり、関わりも深く、サッカー中継番組でもスポンサーになるほどの深さでもある。[[日産・AD|日産AD(現地名ツバメ)]]を生産していた時代は、日本への輸出(いわば逆輸入)も行っていた。[[ルノー]]傘下に入ったあとの2009年時点で、販売台数ベースで同国市場最大手である<ref>{{cite
|title=Ventas 2009: México
|url=http://es.autoblog.com/2010/02/01/ventas-2009-mexico/
|date=2010-02-01
|accessdate=2010-12-05
}}</ref>。同社は現在、アメリカとの国境地帯とメキシコシティとの中間点に位置する[[アグアスカリエンテス]]や、メキシコシティ郊外の[[クエルナバカ]]に工場を構えているが、NAFTA発効後はメキシコ当国のみならずアメリカおよび[[カナダ]]向け車種の主要な生産拠点となっており、近隣の[[チリ]]や[[アルゼンチン]]、さらにヨーロッパなどにも輸出が行われている。おもな生産車種は「[[日産・ティーダ|ティーダ(北米ではヴァーサ)]]」「[[日産・セントラ#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_B13.E5.9E.8B.EF.BC.881991.E5.B9.B4-1994.E5.B9.B4.EF.BC.89|ツル]]」「[[日産・セントラ|セントラ]]」「[[日産・フロンティア|NP300フロンティア]]」で、日産自動車メキシコシティ事業所(日産メキシカーナS.A de C.V.)が取り扱う車種でもこのほかに「[[日産・マキシマ|マキシマ]]」「[[日産・アルティマ|アルティマ]]」「[[日産・フェアレディZ|370Z(フェアレディZ)]]」「[[日産・エクストレイル|エクストレイル]]」「[[日産・パスファインダー|パスファインダー]]」「[[日産・キャラバン|アーバン(キャラバン)]]」「[[日産・アトラス|キャブスター(アトラス)]]」と新たに「[[日産・リーフ|リーフ]]」も販売を開始した。また、ニューヨークのイエローキャブ向け仕様NV200もこの国で生産されている。以前は「[[日産・シルビア|サクラ(シルビア)]]」「[[日産・スタンザ|サムライ(スタンザ)]]」「[[日産・セドリック|280C(後のセドリック)]]」も販売していた。さらには、メキシコ連邦警察専用向けとしてY30セドリックセダン(グレード的にはブロアム)をベースとしたセドリックパトロールも納めたほどである。
 
; フィエスタ・メヒカナ
: メキシコの[[独立記念日]]の前日の[[9月15日]]に、[[大阪市]]のメキシコ総領事館の主催で、[[フィエスタ・メヒカナ]]という祭を[[領事館]]の入居している[[梅田スカイビル]]のワンダースクエアで開催する。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としての規模は最大のものである。
 
=== MIKTA ===
{{main|メキシコの行政区画}}
 
メキシコの第一級行政区画は32の[[メキシコの州|州]]に分かれる。首都[[メキシコシティ]]の全域は、どの州にも属さない[[メキシコ連邦区|連邦区]](''Distrito Federal'')とされていたが、2016年に憲法が改正されて32番目の州になった。
 
各州には、知事と一院制の議会があり、それぞれ住民の直接選挙によって選出される。任期は6年。
[[北米]]大陸の南部<!-- 北米大陸は中米も含むため -->に位置し、約197万平方キロの面積([[日本]]の約5倍)を持つ。海岸線の総延長距離は1万3,868キロに達する。海外領土は持たないが、領土に含まれる島の面積は5,073平方キロに及ぶ。
 
メキシコの地質構造は、北に接するアメリカ合衆国とは異なり、[[クラトン]]が存在しない。アラスカから太平洋岸に沿って伸びるコルディレラ造山帯とアメリカ合衆国東岸に沿う古い[[アパラチア山脈]]に続くワシタ造山帯(メキシコ湾岸)がメキシコ国内でひとつにまとまる。地向斜による膨大な堆積物がプレート運動により褶曲山脈を形成しているほか、[[第三紀]]以降の新しい火山が連なる。このため、メキシコは高原の国であり、北部は平均1,000メートル前後、中央部では2,000メートル前後である。標高5,000メートルを超える火山も珍しくなく、メキシコ国内最高峰の[[オリサバ山|ピコ・デ・オリサバ山]](シトラルテペトル山)の5,689メートル(もしくは5,610メートル)をはじめ、[[ポポカテペトル山]](5,465メートル、もしくは5,452メートル)、[[イスタシュワトル山]](5,230メートル)などが連なる。もっとも頻繁に噴火を起こすのはコリマ山(4,100メートル)である。<!-- 山岳の標高はすべて理科年表2006による。数値を複数掲載したものは、理科年表にも複数(異なるページに)掲載されている。-->
 
最長の河川はアメリカ合衆国との国境を流れるリオ・ブラボ・デル・ノルテ川([[リオ・グランデ川]])であり、3,057キロのうち2,100キロが両国の国境を流れる。最大の湖は[[チャパラ湖]](1,680平方キロ)である。
 
=== 地下資源 ===
地下資源に恵まれた世界でも有数の国である。まず、銀の埋蔵量については現在でも世界第2位であり、16 - 19世紀初期までの銀の埋蔵量は世界の生産量の半分を占めた。ほかには銅の埋蔵量世界第3位、鉛と亜鉛は第6位、モリブデンは第8位、金が第11位であり、世界有数の生産量を誇っている。さらに鉄鉱石、石炭のほか、マンガン、ストロンチウム{{efn|ブラウン管ガラス、フェライト磁石などの材料となる}}<ref name="tikasigen79">国本伊代編著 『現代メキシコを知るための60章』 明石書店 <エリア・スタディーズ 91> 2011年 74ページ</ref>などの希少金属も産出する。そして、地下資源のなかでも石油がメキシコ国内経済を支えている<ref name="tikasigen79" />。ただし、2017年の原油生産量は222万バレルで2004年の最大383万バレルから漸減している。
 
== 経済 ==
[[ファイル:Pemexgasstation.jpg|thumb|240px|right|[[ペメックス]]のガソリンスタンド]]
[[ファイル:SSA41434.JPG|thumb|240px|right|[[テオティワカン]]。考古学遺跡はメキシコの観光収入の大部分を占める]]
[[2013年]]のメキシコ時点の[[GDP]]は1兆2,609億ドルであり、世界15位である<ref name="imf201410" />。[[大韓民国|韓国]]とほぼ同じ経済規模であり、[[ラテンアメリカ]]では[[ブラジル]]に次いで2位である<ref name="imf201410" />。1人あたりのGDPでは1万650ドルとなり、世界平均を若干上回る<ref name="imf201410" />。[[メルコスール]]と[[南米諸国連合|南米共同体]]のオブザーバーであり、[[経済協力開発機構]](OECD)、[[アジア太平洋経済協力]](APEC)、[[北米自由貿易協定]](NAFTA)の加盟国でもある。
 
[[カリブ海]]沿岸地域を中心にして[[油田]]が多く、[[第二次世界大戦]]頃より国営石油会社のペメックスを中心とした[[石油]]が大きな外貨獲得源になっている。鉱物では[[銀]]や[[オパール]]の産地としても中世から世界的に有名である。電線に使える[[銅]]は[[グルポ・メヒコ]]が採掘している。ほかにも水産業や観光業、製塩や[[ビール]]などが大きな外貨獲得源になっている。また、[[20世紀]]前半より工業化が進んでおり、[[自動車]]や製鉄、家電製品の生産などが盛んである。おもな貿易相手国はアメリカ、カナダ、日本、スペインなど。
=== 二度の通貨危機 ===
==== 1982年メキシコ債務危機 ====
1970年代、石油価格高騰を受け、メキシコで[[石油]]投資ブームが発生した。また、メキシコの賃金が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]よりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えていた。[[国際金融市場]]を行き交うマネーが急増し、利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。ちょうど[[1995年]]前後、1ドル100円水準の円高を受け、日本から[[東南アジア]]へ工場が移転し、東南アジア諸国に投資が急増したのに似ている。メキシコへの投資は、アメリカの金融機関にとって、比較的安全なものと判断されていた。ドルとメキシコ・ペソは[[固定相場]]であり、当時、メキシコ当国の石油公社や電力会社は国営であったため、メキシコ政府による[[債務保証]]がつけられていた。国家が破産するはずがないと信じられていた時代である。アメリカよりメキシコの金利が高いため、アメリカで資金を調達し、メキシコ当国に投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。そういう事情により、メキシコの[[対外債務]]は急増していった。債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。ところが、[[1980年代]]になるとアメリカの金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。[[1982年]]8月、メキシコは利払いの一時停止([[モラトリアム]])を宣言する羽目になり、メキシコ国民は急激な[[インフレーション]]と[[失業]]の増大によって苦しんだ。
 
当時のメキシコの対外債務は870億ドルであった。メキシコ危機が特にアメリカの[[メガバンク]]に与える影響が大きいため、[[国際通貨基金|IMF]]と[[アメリカ合衆国財務省]]、メガバンク・シンジケートにより救済措置がとられた。「[[大きすぎて潰せない]]」有名な事件となった。[[ネルソン・バンカー・ハント]]を破産させたばかりの出来事であった。1982年の利払い分に相当する80億ドルを緊急融資が実行され、翌年には70億ドルの追加融資が行われた。さらに、債務を返済するため、厳しい措置がなされた。石油公社や電力会社の[[民営化]]はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、メキシコとIMFをはじめとする国際金融機関との合意がなされた。このメキシコ債務危機以降に同様の措置が、発展途上国で債務危機の発生した場合に適用されることとなる。
 
危機脱出後はメキシコに再び資金が戻ってきたが、新規投資の資金ではなく、[[カルロス・スリム]]のようなメキシコ人富裕層がアメリカに流出させたマネーであった。このマネーが民営化された国営企業や銀行の購入資金となった。売却された国営企業の資産価値は売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機が終わって見ると、一部の富裕層がさらに裕福となり、大半の国民がより貧乏になるという結果をもたらした。ここで大もうけした人たちが、メキシコの経済改革を徹底的に行い、再びアメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再びメキシコの対外債務は増加していった。
 
==== 1994年メキシコ通貨危機 ====
メキシコは[[1986年]][[関税および貿易に関する一般協定]](GATT)に参加した。外国から資金を呼ぶため、金利は高く設定され、ペソは過大評価されていた(この点は[[アジア通貨危機]]直前の状況と似ている)。その結果、[[輸入]]が急増し[[輸出]]は不振となり、[[貿易赤字]]が増大していった。1990年の貿易赤字は1,000億ドルに達し、さらに1992年12月、[[北米自由貿易協定]]が調印され、アメリカからメキシコへの投資ブームが起こった。1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い[[労働力]]を求めて、アメリカの製造業がメキシコに大挙して工場を建設した。メキシコは空前の好景気に沸いていた。
 
しかし、バブルの崩壊は突然であった。1994年2月、南部で[[先住民]]による武装反乱が発生。3月には[[大統領選挙]]の候補が[[暗殺]]された。この事件をきっかけにして、メキシコへの信頼が一時失墜し、[[カントリーリスク]]の懸念が表面化した。その結果、メキシコ・ペソが暴落し、ペソ売りドル買い圧力の増加に対抗するためにメキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きて国家は財政破綻。その結果、12月に固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。
 
その一方で、メキシコ通貨危機を防衛するために、メキシコ政府は額面がペソで元利金の支払いがドルで行う政府短期証券「テソボンド」を大量に発行した。この債権がメキシコ通貨危機が治まったあとに事実上のドル建てで取り戻せたため、皮肉にもこれを購入した富裕層はたいへん儲かったという。1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して富裕層がさらに富を増やしたが、メキシコに投資した投資家たちは巨額の損失を被り、メキシコ国民は急激なインフレと貧困に大量失業という苦しみを味わうことになった。
 
=== 税制 ===
 
===格差社会===
[[国の所得格差順リスト|国の所得格差]]を表す[[ジニ指数]]によると、メキシコは米国や中国、マレーシアとほぼ同程度の47.0の値で、ラテンアメリカの中では比較的に貧富の差の激しくない国である([[国の所得格差順リスト]])。しかし、歴史的に建国以来メキシコは格差問題に喘いでいる。[[カルロス・スリム]]という世界一の億万長者{{cn||date=2016年1月21日}}を産んだ国ではあるが、一方メキシコシティにおける世帯平均月収(手取り)は約4万円となっている<ref>[http://www.777money.com/torivia/torivia4_4.htm 世界各国の平均年収(月収)]</ref>。
 
==== 教育による社会階層移動の可能性(エリート優遇策) ====
自助努力による成功のチャンスも存在する。メキシコ政府は出身階級に基づく格差の継承を解消するため、教育を通しての機会の平等を実現させようと試みている。政府は国公立大学へは潤沢な財政援助を行っており、授業料もほとんどかからない。特に貧困層出身者に対する手厚い支援制度があり、[[奨学金]]制度、夜間授業、食堂の補助金制度などを充実させている。したがって、たとえ貧困層出身者であっても努力してこれらの難関大学に進学できた場合にはさまざまな機会に恵まれ、社会階層を上昇移動することは可能である<ref>[http://www.jasso.go.jp/study_a/oversea_info_mex_a.html#h3_7 独立行政法人日本学生支援機構]{{リンク切れ|date=2020-7}}</ref>。
 
== 交通 ==
* 人口増加率: 1.18パーセント(年率)
 
メキシコの人種は[[メスティーソ]](スペイン人とインディヘナの混血)が60パーセント、[[アメリカ先住民|先住民族]]([[インディオ]])が30パーセント、[[白人]]が9パーセントとされており、そのほかにも[[日系メキシコ人]]や[[フィリピン系メキシコ人]]などアジア系の移民の子孫、[[アフリカ系メキシコ人]]も総人口の1パーセント程存在する<ref>{{Cite web|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mexico/data.html|title=メキシコ基礎データ|accessdate=2019年3月10日|publisher=}}</ref>。
 
ヨーロッパ系メキシコ人は、おもに植民地時代に移住したスペイン人と、ほかにも独立後移民した[[イタリア人]]や[[フランス人]]、[[ドイツ人]]、[[ポルトガル人]]、[[バスク人]]、[[アイルランド人]]、[[イギリス人]]、[[アメリカ人]]などの子孫である。また、1930年代のスペイン内戦の際にメキシコのカルデナス政権は[[スペイン第二共和政|共和派]]を支持したため、戦後共和派のスペイン人が1万人単位で流入した。
 
=== 言語 ===
{{main|メキシコの言語|en:Languages of Mexico}}
[[公用語]]は定められていないが、事実上の公用語は[[スペイン語]]([[メキシコ・スペイン語]])であり、先住民族の65言語([[ナワトル語]]、[[サポテカ語]]、[[マヤ語]]など)も政府が認めている。メキシコは世界最大のスペイン語人口を擁する国家である。
 
=== 宗教 ===
宗教は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]が82.7パーセント、[[プロテスタント]]が9パーセント、その他([[ユダヤ教]]、[[仏教]]、[[イスラーム教]]など)が5パーセントである。
 
メキシコはブラジルに次いで世界で2番目にカトリック人口が多い国である。また、メキシコ当国のカトリックは、もともとメキシコに存在していた先住民の土着信仰と融合したカトリックとしても知られる。
 
メキシコ当国で活動するプロテスタントの宗派には[[ペンテコステ派]]、[[セブンスデー・アドベンチスト教会]]などが挙げられる。
 
[[新宗教]]としては、[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]([[モルモン教]])の信者が存在する。
1993年から2013年の間は、6歳から15歳までの9年間の[[初等教育]]と[[前期中等教育]]が[[義務教育]]の期間であった<ref>{{Cite journal |和書|author=サンティジャン・フランコ・ヘスス, 畑克明 |date=2004 |url=http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/5706 |title=メキシコの教育制度 |journal=島根大学教育学部紀要. 教育科学 |volume=38 |page=1-9 |issn=0287251X |publisher=島根大学 |accessdate=2020-04-13 }}</ref>が、2013年の法改正からは3歳から18歳(幼稚園~高校)までの15年間が義務教育となっている<ref>{{Cite web |author=外務省 |date=2017-11 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/04latinamerica/infoC43300.html |title=諸外国・地域の学校情報 |publisher=外務省 |accessdate=2019-12-06 }}</ref>。
 
おもな[[高等教育]]機関としては、[[メキシコ国立自治大学]](1551年)、[[グアダラハラ大学]](1792年)、[[モンテレイ工科大学]](1943年)などが挙げられる。メキシコ政府は国公立大学へは手厚い財政補助を行っており、貧困層出身者を対象としたさまざまな支援制度を充実させている。メキシコ当国においては高等教育機関が機会の平等をもたらす機能を担い、社会上昇の手段として重要視されている。
 
2018年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は95.4%である<ref>{{cite web |url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/mx.html|title=world fact book|publisher=CIA|accessdate=2020年7月15日}}</ref>。
[[ファイル:Carnitas.jpg|thumb|240px|left|[[タコス]]]]
 
メキシコの文化は、先スペイン期のアステカ族やマヤ族の文化に根を持ち、16世紀のスペイン人による征服後はスペイン文化と融合して築き上げられている。独立後しばらくはヨーロッパの文化の模倣に終始したが、革命後の1920年代から1930年代にかけてインディヘナに国民文化の根源を求めて先住民文化の再評価が始まり、[[インディヘニスモ]]という一大文化運動を確立した。古くから[[音楽]]や[[絵画]]、[[彫刻]]、[[建築]]など[[芸術]]面で世界的に有名な人物を輩出している。
 
=== 絵画 ===
メキシコ革命以前では、19世紀後期から20世紀初頭にて活躍した、政治漫画家の[[ホセ・グアダルーペ・ポサダ]]の版画が有名である。
 
革命後、インディヘニスモ運動の文脈の中で[[1930年代]]から始まった[[ディエゴ・リベラ]]、[[ダビッド・アルファロ・シケイロス]]、[[ホセ・クレメンテ・オロスコ]]などの壁画家たちによる[[メキシコ壁画運動]](メキシコ・ルネサンス)は世界の美術史の中でも特出している。ディエゴ・リベラの妻の[[フリーダ・カーロ]]もメキシコの女流画家として世界中で紹介されている。
 
=== 文学 ===
{{main|メキシコ文学|en:Mexican literature|ラテンアメリカ文学}}
メキシコの作家としては、[[フアン・ルルフォ]]、[[アマード・ネルボ]]、[[カルロス・フエンテス]]、[[ホセ・エミリオ・パチェコ]]、[[オクタビオ・パス]]、[[アルフォンソ・レイエス]]などが挙げられる。オクタビオ・パスは1990年に[[ノーベル文学賞]]を受賞した。[[アルフォンソ・レイエス]]はアルゼンチンの[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]に大きな影響を与えた作家としても知られる。革命以降のインディヘニスモ小説としては、[[ロサリオ・カスティリャーノス]]の『[[バルン・カナン]]』などが挙げられる。
 
=== 音楽 ===
{{main|メキシコの音楽|en:Music of Mexico|ラテン音楽}}
メキシコ当国で生まれた伝統的な音楽様式としては、[[マリアッチ]]や[[ランチェーロ]]、[[ノリード]]、[[ノルテーニョ (音楽)|ノルテーニョ]]、[[バンダ (音楽)|バンダ]]などが挙げられ、メキシコの[[フォルクローレ]]では[[パラグアイ]]や[[ベネズエラ]]のように[[アルパ]]が多用される。南部のグアテマラ国境付近では、マヤ系住人によって[[アフリカ]]伝来の[[マリンバ]]が用いられる音楽が盛んである。
 
また、1960年代以降はアメリカ合衆国に渡ったメキシコ人移民([[チカーノ]])によってアメリカ合衆国の[[ポピュラー音楽]]が行われ、[[ロック (音楽)|ロック]]は[[ラテン・ロック]]になり、[[ヒップ・ホップ]]は[[チカーノ・ラップ]]となって在米メキシコ人市場で消費されたものがメキシコ当国にも逆流入している。[[メキシコ・ロック]](ロック・メヒカーノ)はラテンアメリカ市場でも成功しており、特に有名な音楽家としては[[カフェ・タクーバ]]などが挙げられる。
 
[[クラシック音楽]]の分野では[[カルロス・チャベス]]の名が特筆され、[[メキシコ国立交響楽団]]はチャベスによって設立された。
=== 映画 ===
{{main|メキシコの映画}}
メキシコは[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]とともにラテンアメリカの3大映画制作国であり、多くの映画が製作されている。
 
===食文化 ===
{{main|メキシコ料理}}
一般的に辛いことで知られている[[メキシコ料理]]は世界的に人気があり、特に隣国のアメリカではアメリカ風に独自にアレンジされた[[タコス]]や[[ブリート]]が[[ファストフード]]として広く普及しているが、それらは[[テックス・メックス]](Tex-Mex)と呼ばれ、メキシコ国内ではそれほど普及していない。主食は[[マサ]]と呼ばれる粉を練ってのばして焼いた薄いパンのようなもので、[[トルティーヤ]]と呼ばれる。北部では小麦粉、中部・南部ではトウモロコシの粉を使ったものが主流である。基本的には豆や[[トウモロコシ]]、鳥肉を原材料に使ったメニューが主体になっており、ほかにも[[米]]や魚類、牛肉なども使われることが多く、一見単純に見えて繊細な味がその人気の理由とされている。
 
メキシコの伝統料理は、修道女たちがメキシコで収穫される農作物で王宮料理を作る目的で研究されたもので、プエブラという古都が有名である。代表的なものに、[[モーレ]]がある。
 
海に囲まれているため魚介類も豊富で、魚やエビなどを使った料理も多い。特に日本にとってはエビの大きな供給元として知られている。
 
近年は[[カップラーメン]]がメキシコ国内で広く普及しており、中でも[[東洋水産]]の「マルちゃん」ブランドが市場シェアの約85パーセントを占めるまでに成長している。
 
メキシコは蒸留酒である[[テキーラ]]の一大産地として有名であるが、それは[[ハリスコ]]州グアダラハラ市近郊のテキーラという地域に1700年代から作られている地酒であり、国民にもっとも愛される酒となっており、近年は海外にも愛好家を増やしている。また、[[ビール]]の特産地としても知られており、[[コロナビール]]や[[XX|XX(ドス・エキス)]]などの著名な[[ブランド]]が世界中に輸出されている。
 
=== 世界遺産 ===
{{Main|メキシコの世界遺産}}
メキシコ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が26件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が4件、[[複合遺産 (世界遺産)|複合遺産]]が1件存在する。
 
<gallery>
 
=== 祝祭日 ===
メキシコの労働法第74条で定められた祝日は以下の8日(ただし大統領就任日は6年に1度なので、普通は7日)である<ref>{{citation|url=https://www.juridicas.unam.mx/legislacion/ordenamiento/ley-federal-del-trabajo#31767|title=Artículo 74, Ley Federal del Trabajo|publisher=UNAM}}</ref>。これ以外に慣習的な祝日がある。
{| style="text-align:left;" class="wikitable"
|+連邦の祝日
[[メキシコシティオリンピック]]が1968年に開催されている。また[[1970 FIFAワールドカップ|1970年]]と[[1986 FIFAワールドカップ|1986年]]に[[FIFAワールドカップ]]が開催されている。[[2026年]]にはアメリカ合衆国、カナダとともに[[2026 FIFAワールドカップ]]の共同開催国となる。
 
伝統的に[[闘牛]]が盛んに行われ、メキシコの大都市には必ず[[闘牛場]]がある。
 
=== サッカー ===
=== ルチャ・リブレ ===
[[ファイル:Psicosis-Chessman.JPG|240px|left|thumb|[[ルチャリブレ]]はメキシコで非常に人気がある]]
[[ルチャリブレ]]はメキシコを代表するスポーツのひとつで、派手なマスクと華麗な空中戦が見もののメキシカン・[[プロレス]]であり、メキシコの象徴でもある。古くは[[ミル・マスカラス]]・[[ドス・カラス]]兄弟から[[チャボ・ゲレロ・ジュニア]]まで多くの世界的に有名な選手を生んでいる。[[メキシコ連邦区ボクシング・レスリング協会]](CBLL)およびルチャリブレ選手組合によりプロレスラーライセンスを発行しており、ナショナル王座も存在する。
 
日本にも熱狂的なファンが多く、日本からの観戦ツアーが多数企画されるのみならず、[[ザ・グレート・サスケ]]、[[タイガーマスク (プロレスラー)|タイガーマスク]]、[[ウルティモ・ドラゴン]]、[[エル・サムライ]]、[[スペル・デルフィン]]、[[グラン浜田]]、[[百田光雄]]、[[後藤洋央紀]]など、日本のレスラーが空中戦をはじめとするさまざまな技術を学ぶために留学・遠征するケースも多数見られる。また、日本の[[全日本プロレス]]やアメリカの[[WWE]]などの団体に多くの選手を送り込んでいる。
 
メキシコシティ市内にある競技場、[[アレナ・メヒコ]]と[[アレナ・コリセオ]]は「ルチャ・リブレの2大聖地」と言われ、メキシコ最大のルチャ団体・[[AAA (プロレス)|トリプレ・ア]]の看板スター、[[ドス・カラス・ジュニア]]や[[エル・イホ・デル・サント]]が繰り広げる華麗な空中戦を見るために世界中から観客がやってくる。
 
=== ボクシング ===
メキシコにおいて[[ボクシング]]もまた人気の高いスポーツのひとつである。世界最大の団体である[[世界ボクシング評議会|WBC]]の本部が置かれており、3階級制覇を達成した[[フリオ・セサール・チャベス]]を筆頭にアメリカで活躍するマルケス兄弟、[[イスラエル・バスケス]]、日本でもなじみの深い[[ルーベン・オリバレス]]や[[リカルド・ロペス]]ら世界王者も数多く輩出している。チャベスがエスタディオ・アステカに[[グレグ・ホーゲン]]を迎えたWBC世界[[スーパーライト級|ジュニアウェルター級]]タイトルマッチは世界最多の有料入場者となる13万人を動員した。
 
コミッションはCBLL。メキシコは[[タイ王国]]同様に[[プロボクサー]]ライセンスは存在しない。プロモーターとの契約が成立した時点でプロ活動が可能になる。ナショナル王座も管理・監督している。[[2000年代]]後半にメキシコに本部があるWBCが創設した同国内王座Central Zone of the Mexican Republic Boxing Commissions(FECOMBOX)と並存。
 
[[女子ボクシング|女子プロボクシング]]も盛んであり、2階級制覇を達成した[[ジャッキー・ナバ]]を筆頭に多くの女子世界王者も輩出している。
 
=== モータースポーツ ===
[[ブラジル]]や[[アルゼンチン]]などのほかの中南米の主要国同様、富裕層を中心にモータースポーツが高い人気を誇っている。[[1950年代]]に行われたメキシコ国内を縦断する公道レース[[カレラ・パナメリカーナ・メヒコ]]や、カリフォルニア半島を縦断するオフロード・レース、[[:en:Baja 1000|バハ1000]]は世界的に有名である。
 
また、[[フォーミュラ1|F1]]・[[メキシコグランプリ]]が[[メキシコシティ国際空港]]近くの[[エルマノス・ロドリゲス・サーキット]]で開催されている。[[2004年]]からは[[世界ラリー選手権]](WRC)がメキシコ北部を舞台に毎年開催され人気を博している。
 
=== マリンスポーツ ===
[[太平洋]]と[[カリブ海]]の豊かな海に包まれたメキシコではており、スポーツフィッシングや[[サーフィン]]、[[スキューバダイビング]]など、[[マリンスポーツ]]が盛んに行われ、多くの観光客を呼び込んでいる。
 
== 著名な出身者 ==