「セリム3世」の版間の差分

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==生涯==
=== 即位前 ===
セリム3世は[[1761年]]にアブデュルハミト1[[ムスタファ3]]とジョージア出身の女性との間にうまれた。[[オスマン家]]には、長らく30年以上も男子が誕生してこなかったため、その誕生は盛大に祝われた。セリムの誕生日は[[木星]]と[[金星]]が重なる吉兆に当たるとされたため、「天運の主」であると予言された。天運の主はかつて[[スレイマン1世]]らに与えられた称号である。セリムは5歳の頃から英才教育をうけ、父[[ムスタファ3世]]が外国の大使を出迎える時には、幼いセリムをともなった。のちに叔父のアブデュル・ハミトが即位したあとも、当初は親切に振る舞われていた。
 
事態が変わったのは、[[1785年]]で、ロシアがクリミアを併合した責任を問うべく、[[大宰相]]のハリル・ハミト・パシャらが[[アブデュルハミト1世]]を廃してセリムを即位させようとした計画が発覚した。この事件ののちセリムへの監視は厳しくなり、[[窓]]を閉鎖されるという仕打ちを受けた。さらにはセリムへの[[暗殺]]を命じられたられたという女奴隷が送り込まれたという真偽不明の逸話もある。結局女奴隷はセリムに愛情を抱き暗殺できなかったという。この頃のセリムは音楽と芸術にも深く興味を持っており、即位後は積極的に作詞をすることになる。また、1786年頃からフランス王ルイ16世と文通を始めている。