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[[en:Ichiro Suzuki]]
 
'''イチロー''' 英語表記:'''Ichiro''' ([[1973年]][[10月22日]] - )は、[[愛知県]][[西春日井郡]][[豊山町]]生まれの[[野球選手|プロ野球選手]]([[外野手]])。本名は、'''鈴木 一朗'''('''驚異的なヒットを量産ずき いちろう''')。妻は元[[東京放送|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]ることから"安打製造機"と呼ばれる
 
本名は、'''鈴木 一朗'''('''すずき いちろう''')。妻は元[[東京放送|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]。
高校時代は[[ピッチャー|投手]]として[[高校野球|甲子園]]に出場。成績は振るわなかったがその後外野手として[[ドラフト会議|ドラフト]]4位で[[オリックスブルーウェーブ]]に入団する。当初登録名が鈴木であったときは成績は振るわなかったが、「イチロー」に変更してから激変。前人未到のシーズン200本安打を達成。以後数々の記録を更新し[[メジャーリーグ]]に移った現在でも間違いなくトッププロである。高校時代はピッチャーをしていこともあり、強肩でコントロールもよく彼の正確無比な返球はレーザービームと称され相手チームに脅威を与え、イチローの守るライトは背番号にあやかり、エリア51と呼ばれる。普通ならば[[三塁]]や[[本塁|ホーム]]に行ける当たりでもランナーを思いとどまらせる、記録には出ないがイチローの隠れたファインプレーである。ちなみにプロ初のホームランは[[野茂英雄]]投手から放っている。
 
高校時代は[[ピッチャー|投手]]として[[高校野球|甲子園]]に出場。1991年、その打撃センスをかわれ[[ドラフト会議|ドラフト]]4位指名を受け、外野手として[[オリックスブルーウェーブ]]に入団した。
 
入団後は2軍で首位打者を獲得しながらも、1軍首脳陣からその変則打法に対する評価が得られず、当時豪腕の名をほしいままにしていた[[野茂英雄]]投手からプロ初ホームランを放ったものの、1軍に定着することはなかった。
 
失意のうちに2軍生活を余儀なくされていたイチローは、[[河村健一郎]]二軍打撃コーチと二人三脚で"振り子打法"を考案し後日の飛躍にそなえた。
 
1994年、監督に招聘された[[仰木彬]]はイチローの天才的な打撃センスを見抜くと、登録名を当初の鈴木から「イチロー」に変更させて1軍のトップバッターに抜擢する。イチローは1軍打撃コーチの[[新井宏昌]]にも理解されて、2軍に降格することなくその年シーズン210本安打の偉業を達成した。
 
以後、7年連続首位打者・3年連続のMVP獲得を達成し、日本シリーズも制覇し、日本のプロ野球選手を代表するスーパースターに育った。
 
2001年、イチローはポジティング制度を利用して[[メジャーリーグ]][[シアトル・マリナーズ]]に移籍すると、その年シーズン242安打を達成し[[アメリカン・リーグ]]の新人王・MVPを獲得するなどチームのプレーオフ進出に貢献、日本の一流打者がメジャーリーグでも通用することを証明した。
 
また、俊足で守備範囲が広く、コントロールの効いた強肩のスローイングはレーザービームと称され、イチローの守るライトをその背番号にあやかりエリア51と呼んでいる。進塁可能と思われる状況下にあっても、イチローの守備範囲と強肩が走者に進塁を許さない。記録には出ない隠れたファインプレーもイチローの魅力のひとつになっている。
 
子供の頃の憧れの選手は元[[中日ドラゴンズ]]の[[田尾安志]]。メジャーリーグでは[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]の[[バーニー・ウィリアムス]]。2004年は、日米通算2000本安打、史上初の新人からの4年連続200安打、3年ぶりの首位打者奪回、初の[[ワールドシリーズ]]進出を視野に入れる。背番号は'''51番'''である。父は'''チチロー'''こと[[鈴木宣之]]。