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[[愛知県]][[江南市]]出身。[[愛知県立尾北高等学校|古知野高等実践女学校]]を卒業後、大学に進学せず、[[手芸]]の学校を出た後に銀行員などをしていたが、手芸好きが高じて銀行を辞めて手芸教室を始め、作品展を開催したところ評判となり、1964年に東海学園女子短大の手芸の講師に採用される。後に東海学園女子短大助教授となり、生活文化史の研究などを行っていた。[[名古屋工業大学]]工業化学科に内地留学した。
 
1987年、縄文土器などを作るときに使われていた、縄文時代の[[編布]](アンギン)に出会ったことがきっかけとなり、手芸の講師から考古学者に転じる。50歳後半から日本の[[縄文時代]]の遺跡をめぐり、[[縄文土器]]から網目模様を分析。当時の技術を念頭に[[編み物|編み]]を行い布を再現する。縄文布の耐久性を調べるために自分で縄文布で作った服を着て、竪穴式住居で学生らと3日間泊まり込んで生活したこともあるなど、縄文時代の布を実証的に研究する者として第一人者となった。
 
それまで日本最古の布は[[弥生時代]]か[[古墳時代]]の物であるとの説があったが、尾関は縄文時代の「縄文布」が日本最古の布であることを明らかにした。また、それまで[[縄文人]]は毛皮を着ていたらしいと思われていたが、尾関の研究によって布の服を着ていたらしいことが明らかとなり、縄文時代のファッションのイメージは大幅に塗り替えられることになった。