削除された内容 追加された内容
能面での引用について
196行目:
== [[能面]]での引用について ==
[[利用者:ゴーヤーズ|ゴーヤーズ]]さま はじめまして。さて、貴殿が加筆されました[[能面]]が、現在[[Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考]]にかかっております。そこで{{賛成}}コメントを書くため、再度テキストを読み込んでみたところ、文体に違和感を覚えました。そこで引用文献、西野(2012)と三浦(2004)((2012)になっていますが、誤りです。)を読んでみたところ、貴殿の引用は、テキストの語尾は変えるものの、後は大して変わっていない、原文の形がはっきりわかる文だと分かりました。そして、明らかに「剽窃」と言える箇所は削除しました。ご確認ください。貴殿は良質どころか、[[Wikipedia:秀逸な記事]] を何本も記しており、その中には私の基準となっている[[エドゥアール・マネ]]も含まれると知り、落胆しました。そんな方が、なぜこのようなレベルの低いことをなさるのでしょうか。今までもそうだったのですか?文献を何冊も調べているのですから、それらをブレンドすれば、自身の言葉として昇華できるはずです。私はそうしております。私の申していることは間違っておりますか?そこで、貴殿の見解を伺いたく存じます。選考はとりあえず{{保留}}票を投じますが、解答如何によって投票を変えます。誠実な回答を期待します。--[[利用者:Falcated|Falcated]]([[利用者‐会話:Falcated|会話]]) 2021年2月13日 (土) 14:44 (UTC)
: コメントありがとうございます。私としては、修正された箇所は、長さとしては短く、また、若干語句を変えたとしても、同じことを誤りなく伝えようとすれば結局大差ない表現になると思っており、剽窃あるいは著作権侵害との評価がされるとは思っていませんでした。例えば、「どれだけ本面に近づけるかが研究された」という表現は事実そのものであり、それ自体に著作権侵害とするほどの創造性があるでしょうか。「本面に近づける方法が研究された」だったらよいのでしょうか。しかし、ご指摘のような意見があるということは、謙虚に受け止めなければいけないかもしれません。なお、これまで関わった記事と、執筆スタンスを大きく変えたつもりはありませんが、本記事の場合、記載事実によっては典拠とできる文献数が少なく、一つの文献に引っ張られすぎた面があるかもしれません。文献の引用方法が間違っていた点は申し訳ありません。いずれにしても、皆様の評価をお聞きし、その上で反省すべき点は今後の執筆に生かしたいと思います。本選考を通過することは全く目標としていません。--[[利用者:ゴーヤーズ|ゴーヤーズ]]([[利用者‐会話:ゴーヤーズ|会話]]) 2021年2月13日 (土) 15:40 (UTC)